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8月月報:異文化のなかで強烈に浮き彫りになる自分の好み


淀川花火大会(有料席)

一回くらい有料席で見てみたいな~と思ってウィッシュリストに書いたやつをしっかりできた。
有料席のグレードとしては真ん中あたりだったけど、運よくド真ん中最前から4~5列目の席に座れてめちゃくちゃきれいに見れた。満足。


うまく撮れなかったというか
目で見たくてあんま撮る気なかった感


音楽も連動してたし、なんか、花火大会っていうよりはショーに近いかもしれない。
ただ、なんか市長とかお偉いさんも来てて、いろいろ挨拶してたけど、政治に関して不満しかねーーーーよクソがよ、の気持ちになって、そこが明確に嫌だった。
それより税金どうにかしてくれ、の気持ち。それ以外もたくさんあるけれど。

あとは屋台の少なさ。席に座って見れるのはうれしいけど、屋台を満喫できるような立地にないから、来年は普段通りの席でいいかもな~。
それに付属の弁当も、まあ嬉しいけど、屋台の焼きそばの方が幸福度高い。
夏になるたび思う。屋外でやる買い食いほど楽しいもんはない。

あとは席が早いもの勝ちだったので、夕方に行くと9割型埋まっていて席探しにも手こずったし、有料席に着くまでに40分くらい炎天下の下で並ばないといけないのもだるかった。
有料席のうまみ、あるっちゃあるけど、花火が打ち上がる最中の時間以外は無料エリアのほうが好きかも。

花火はやっぱデカいじゃがりこ。きれいなもん見ながらぼけーーっとできるから、よりいい。
ただ花火大会の最中に流れてくる曲は好みじゃないのも多かったので、airpodsつけて好きな曲聴いてた。

普段見ていた花火はごく一部で、低いところにもたくさんいろんな花火があがっているんだなということを初めて知った。
去年も一昨年も来たのに、なんだか自分の知らない最新技術を使いまくった花火が次から次へと打ち上げられて、当たり前だけど花火も進化していくんだなと感慨深かった。
ていうか職人事情とかどうなってんだろ??

綺麗だったな~~。
でもやっぱ屋台ありきの祭りが好きなんだと思う。
他県のでかやば花火大会も行ってみたいかも。
元々姉と行く予定だったのに、姉に仕事が急に入ってしまっていけなくなったのが残念だった。
来年は姉とも好き勝手いいながら花火見れたらいいな~。
そしてやっぱ浴衣も着たい。その頃には髪色ペールブルーにできてるかな~~~!無理かな~~。

なんにせよ、圧倒されるのは気持ちがいい。
たぶん普段なにかしら考えてるから、強制的に脳味噌の容量埋めてもらえるものがより嬉しいんだろうな。

宇多田ヒカルのコンサート

えげつない倍率をくぐり抜けて隣駅の女がチケットを当ててくれた。
人によっては海外の公演も含めて60回も落選したりしたらしい。えぐい。
というかこれだけ大々的なアーティストなのにこんな規模感小さい場所で公演するの、ファンが泣くど、という気持ちである。

結論、コンサートというものは自分がその対象に命をかけた時間に比例して感動するのだとわかった。
自分が、自分の生活のなかで、その曲に支えられたり、そのアーティストの努力や苦労や苦悩を知った分だけ、自分の時間を費やした分だけ、その音楽や、ひいてはそのコンサートに感動する。揺さぶられる。
何度も何度も繰り返し聴いて、自分の一部のように感じられるくらい近い音楽。

ファン層が幅広くてめちゃくちゃ新鮮だった


わたしは近年の宇多田ヒカルから宇多田ヒカルの曲を聴くようになったので、いうなればNEO宇多田ヒカルファン的な感じなのだけれど、今回のコンサートに向けてセトリを予習しながら、なんか宇多田ヒカルってずっと哲学を歌にしているね… の気持ちになった。


なんというか、日常でBADモードに入ってるときに聴いたらそれこそ泣いてしまいそうに、切実でやさしい曲ばかりで、いやすご~~~~~なんやこの歌詞、エーリッヒ・フロムの「愛するということ」じゃん!!!!!!


わたしにとってこれまで宇多田ヒカルは「偉大な歌姫」で、それ以上でも以下でもなかった。
音楽自体には感動する、いい曲だとも思う。
でも自分の生活にその人がどれだけ溶け込んでいるかで、ぐっとくるかどうかは全然違うんだな。わかっちゃいたけど。

正直、生で聴くよりも自分ひとりでairpods proつけて聴いてる方がぐっときた。
まあそれは演出の好みとか、あまり手をあげないというファンダムに倣って、わりと自分を押さえて聴いてたからというのもあるけれど(まあそれでも気持ちいいときあげたけど)、シンプルに「あたしと宇多田ヒカルの思い出」がわたしの中に醸成されてないからだろうな~~。

どちらかというとMCのときのふわふわした感じも意外だったし、終演後のお辞儀が長くて何度も繰り返されて、こんな多大なファンがいる人がここまで謙虚で、何回も「楽しんでくれてるかな?」っていってそこまで自信あるように見えないの謎だし、めっちゃファンのこと人間として扱うじゃんなに???????という疑問がすごかった。
いやでも宇多田ヒカルクラスになるとわたしみたいな濃度の人もくるし、楽しんでくれてるのかな??って心配になるのかな~。
ファンとの距離感がなんだか遠くに感じる人だなという印象。

しかもAutomaticが一番歌っててたのしい曲だといっていて、それもめちゃくちゃ意外でびっくりした。飽きないんだ、という。
軸、みたいなものがブレにくい人なのだろうか。わからん。ブレながらも人間の良さ、みたいなものを信じているようなイメージだけど。 

なんか、こんな哲学みたいな歌詞を書いてるのに、いや書いてるからこそだろうけど、なんつーーか、ここまでちゃんとファンを人間として、自分との間に距離を置いてるような人を見たことがなかったから、すごく新鮮だった。
なのに最後、みんなが楽しんでるって伝わってきて嬉しい、って少し涙ぐんでて、エッすご、わりと突っ立ってる感じで(でもめちゃくちゃ聴きいって泣いたりしている、わかる、聴き入ると動けなくなるときある)よくわかるな!!!?!?とも思った。

なんか、宇多田ヒカルの思考回路ってどんな感じなんだろ、という興味がすごい。
こんな歌詞書けて、繊細だろうし、なんというかちゃんと傷つくことができるであろう人で、とても生きにくそうに見えるが、でもなんかめちゃくちゃつよいんだろうなとも思って、気になるぜ~~~。
そしてどの曲も聴いててきもちいい曲が多いのもすごい。

コンサートはたぶんもう行かないだろうけど、行けてよかったな。
気になる人すぎる。

わたしにとって楽しい!と思うライブやコンサートはなんだろう?と考えてみたけど、
・声をたくさん出せるか
・踊りまくれるか
・自分の思い出や節目とつよくリンクしてるか
・アーティストのバックグラウンドを知って共鳴してるか
・そのアーティストのしあわせを願っているか
ここらへんの条件が揃ってるかが大事なんだろうな~。曲のよさは大前提として。

そして、一番それ関係ある?の「そのアーティストのしあわせを願っているか」が、意外と大事なのかもしれない。わからんけど。
なんかさ~わりと当たり前にみんな「〇〇が幸せならそれでええ」みたいなことをいうけど、それってめちゃくちゃデカい愛じゃね??????と思うんだよな。
それだけ人間として見て、大切に思ってる証になり得るというか。なり得ないときもあるけど。

他人のしあわせを、どんな選択をしても、どんな未来でも、あなたがしあわせであってくれればそれでいい、って思えるの、普通にまあまあデカい愛では??
普段の生活でも、それらを明確に言語化して伝えたり思考する相手って、わたしにとってはかなり限定的で大切な相手だけだ。

それ以外の人は、みんなしあわせであってほしい~!の気持ちだけれど、それはやっぱわたしが彼らになにかあってもそこまでダメージは負わないというか、揺らぎにくいからこそポップに「しあわせであってほしい~~!!!!」と思うわけで。

そこには、「(わたしがあなたを見てて、接しててつらいかもしれないけど、それでも)あなたがしあわせならそれでいい」という気持ちがある。気がする。

これらを今全部満たしているのがわたしにとってはstraykidsなわけだ。
でもそこまで好きになったり大事だとか思えるのってすごいことだね~~。
自分の人生の楽しさやよさ、みたいなものの、少なく見積もっても3割くらいは音楽が占めている気がする。

祭り要素はわりと再現性高いけど、まあ自分の思い出とかとリンクして、相手に共鳴できるアーティストは行った方がいいんだろうな~。
なので今のわたしは絶対taylorのコンサートに行くと決めている。

まあでも、来週行くULTRAは、祭り的要素である声と踊りが満たされるであろうから、楽しいだろうな。
アミノバイタル持ってこっと!


職場の人と昼飲み🍻

最高。わかっちゃいるけど。
しかも仕事ある日の昼飲みって最高。許されざることかもしれませんが、まあそのあとの仕事に支障はなかったのでモーマンタイ。

数ヶ月前に新しく入社した女性をわたしはかなり好ましく思っていて、だけどタイマンで飲むという発想がなくて、前の会社にいた頃みたいに飲みに誘ったりはしなかったけれど、降って湧いたような飲酒チャンスで、やっぱこの人たのしいな、と思った。

自分をかわいがってくれる人、というのもあるけど、窮屈そうな40代らしさ、みたいなものがなくて、屈託なく笑う感じが好きだ。
独身で、子どもがいないからこその屈託なさなのかもしれない。
でも好きだ、なんだか彼女を見ていると、必要以上に「大人の女性らしく、ちゃんと」しないといけないってわけじゃないのか、と思える。

だけど趣味なんかはかなり保守的な感じで、その年代の人にありがちな、いや年代で括るのも失礼か。
まあとにかく、良くも悪くも全てが深く根を張ってルーティン化している感じ、行動範囲の拡大化もされていない感じは、今のわたしには憧れはしないなと思う。
前は憧れていたけれど。それこそが「自分に必要なものがわかっていてちゃんとしてる」感じで。


でもそういうものに辿り着くのにはまだ早すぎる。わたしはブランドもんガンガン買ってガンガン売るような段階、まだ通ってないのだ。
まだ人生を小さくまとめるのには早すぎる、てか70、80代のババアになっても開けっぴろげというか、なにするかわかんない愉快なババアでありたい。
屈託なく、でも好きなことバリバリやって好奇心の向くままにうろちょろできる40代になれたらいいな~~~!
今は少しずつ子ども部屋おばさんのルートから抜けているような気がするのだが、どうなんだろう。


ムーンプランナーさんの生卵〜とかでいくと、今わりと生と茹での間の、今後のライフスタイルをデカめに変えるような卵があって、それをわたしは叶えたいんだろうなということがわかってる。
どう叶えんだよって😅🎶🎶で自ら脳内で卵を叩き割りそうになるが、うるせ~~~~~!!!!!
それに、なんかそこにまつわる卵が多いので、なんかまじでかなりやりたいんだろうなとわかる。
から、煮卵から調理していってるところ。

できないことなんてないのだ、やってないだけで。
夢とかもその単語だからふわっとしてるけど、結局はそれをやって生きている時間を増やせばいいだけだしね。
自分のやりたいことをやる時間を増やす、やりたくないことを少しずつ減らす。
これからもコツコツやるぜ~生活。


それでいくと、夜飲みは本当に酒を翌日に引っ張ってしまうからあんまり好きじゃなくて、だから飲み行こ!的なのも減ったんだけど(あとメンタル安定してるから飲む必要ないのもある)、昼飲みだとそれだけで贅沢なことしているような気分だし、
翌日が休日でも酔いを引っ張らなくて済むし、いいかもしれない。

あと夕方飲みとか。
長らくひとり飲酒もしなくなったけど、今度休日にやってみてもいいかもな~。そうなるとやっぱり眺めのいい屋外でまどろむみたいに飲みたい。


イタリア旅行🇮🇹

初のイタリア!!!!!
9泊くらいガッツリ行けて、とても楽しかった。
特に最後の晩餐とミラノのドゥオーモを見れたのが最高すぎて、あ~~~~~~行けてよかったまじでまじでまじで。

今回、家族旅行の億劫さを思い出し(毎回絶対母の態度が発端でバカほど喧嘩する)、かつ家族内でややもちゃついた件もあって、なんならもう20数万、飛行機代で払ったけど、それでもぎりぎりまで行くか行かないか迷っていた。
前回のフィレンツェ旅行も、母と行きたくなくてわたしだけ行かなかったし、正直あのときの精神状態や母との距離感においては行かなくて大正解だった。親の脛齧りfeat.フィレンツェを犠牲にしても。


なので今回もまじでプランとか全然積極的に立てる感じにもならず、行くかわかんないしね~と思いつつ本当に姉任せでボケーっとしていたのだけれど、ネットでそういえばイタリアってなにがあるんだろ、と思い検索したら、
エッッッ「最後の晩餐」あるがな!!!!!!!!生で見れるがな!!!!!!!!そんなん行きたいがな!!!!!!!!になった。
家族におけるもちゃもちゃを容易に凌駕してくるレオナルド・ダ・ヴィンチ。すごすぎ。


人生で一度見れるか見れないかのものは世の中にめちゃくちゃあって、それが自分にとってどれだけ大事なものになるかはわからないから、行けるチャンスがあるなら行くに限るよな、というのは帰ってきてから思った。
まあ今回は、姉も母もわたしも全員歳を重ねて、多少なりとも大人になったから前回よりはマシだろうという願いも込めて行ったけど。


どの国でもそうだろうけど、都市部と観光地の空気は本当にびっくりするくらい違う。
わたしたちが5日間ほど滞在したのはソレントという観光街で、滞在中一度も日本人と出会わなかった。
というか、アジア人が1割以下くらいだった。

現地の人は、スペイン語っぽい発音の英語を話し、こちらがイタリア語を頑張って話すと嬉しそうにしてくれた。
日本でも観光客が増えてきたけど、初手から当たり前の顔して英語で話されると、いやせめて一発目は日本語で話せよ、挨拶くらいしろよな~~、となる。
だから海外にいるときはその国の言葉をGoogle翻訳で、すごくおいしい、とか綺麗、とか調べて話すけど、それだけでわかりやすく相手に敬意を払ってることが伝えられるから、いい。
敬意、払わなくても支障ないけど、相手にも自分にもなるべく払いたいな。

驚いたのは、現地の人はクリスマス後の10数日間の休み以外は休みがないらしいということ。
エアビの管理人さんに聞いたら、だいたいの人は週7日労働らしい。ほんと???? えぐい。
いつもいつも同じウェイターがレストランの前で声をかけてくれるなと不思議に思っていたのだ。

そのあと行ったポジターノはオフシーズンがあるけれど、ソレントはそこまで観光客が密集しないから年中オンシーズンらしい。
イタリア人はあまり働かない、みたいな話を聞いたことがあるからもっとのんびりしているのかと思いきや、想像を遥かに超えたハードワークだ。

きれいだったけど坂もキツいし、
ほぼソレントと同じだった
ポジターノ


もちろん昼休憩は長めにがっつりあったりするみたいだけど、のんびり一日を自由に過ごすという機会が少ないのは、わたしだったらかなり耐え難く、しんどい。

でもここで育った人はみんな7日で働いているらしく(ほんまか???)、なんというか「そういうもんだから」とか「そういう仕組みだから(≒そうしないと食べていけないから)」というシステムは、なんつーーーーかめっちゃ搾取!!!!!という感じで、やだな。

バカンスに来ている外国人と、年10日ちょいくらいの休みしかない観光地の人たち。
いつ来てもオンシーズンというのはうれしいしありがたいけど、やっぱ仕事だけがメインにならざるを得ない働き方は、その構造は、わたしは好きじゃないなと思う。
ちゃんと休んでほしいな~… になる。


▼最後の晩餐
最後の晩餐は、英語でのツアーだったのだけれどあいにく英語がわからないので、待ち時間の間ネットで調べまくって、かなり最後の晩餐の背景を知ることができた。

本当にえげつない環境下で、500年前に描かれたものを今見れているのかと思うと、すごくぐっときて、なんだかそのスケールのでかさに泣きそうになってしまった。



実際見れた時間は15分ほどだけだったのだけれど、縦幅が9m近くあるだけあって、いろんな距離感や角度から見るのも本当に面白くて、飽きなかった。
本当に本当に本当に来れてよかったと思った。

なんだか自分でも驚くくらいに感動してしまって、なんだろう、別に絵を描く人間でもないのに不思議だ。
ひとりの人間が描いたものが、こんな500年も経ってまで残り、それが人間を感動させているということ自体にもびっくりしたのかもしれない。
修道院の食堂に描かれたその壁画を描いている間、きっと食堂を普段利用している人たちは、あのおっさんどんだけ時間かかるんだよ、とか思ったりしたのかもしれない。
偉人と呼ばれるような人間もちゃんとただの人間なんだよな。忘れないでいたいが。

当時その場にいた誰もが、この壁画が500年後も残って、いろんな人間が他国からわざわざ見にくるような場所になるとは思ってなかったんじゃないか。
その頃すでにダヴィンチは有名だったらしいけど。
500年かあ… 果てしないねえ…

胸がいっぱいになったので、グッズもいっぱい買った。満足。大満足。
来ることにしてよかったと心底思えた。


▼ドゥオーモ
あとはミラノのドゥオーモも当日にチケットを取って行ったのだけど、これも本当に行ってよかった。
人間の果てしない粘り強さにすげえなあと思う。

500年以上かけてつくられたということにクラクラする。
シンプルにでかい建物と時間の重みを感じられて、いい。
大量の彫刻にも惚れ惚れした。


大量生産とかではなく、当たり前だけど一体一体手作りで、それがバリエーション豊かに3000体ほどもあることとか。

イケてるドア


しかもなにって、ちゃんとディテールがすごいのだ。
スカートの皺や、顔つき、年齢、様々な人たちや動物やガーゴイルがいて、すごい、こんなちゃんと見てもらえるかもわからないような高いところに置かれるのに。
どのポジションが当時の彫刻家たちにとって一番アツかったんだろうか。
やっぱ入り口正面?それとも高さ??


プレイしたことないけどアサシンクリード的な感じで、悪役と戦う場所でこういうのあるよね~~~!!!


ドゥオーモ付近のレストラン
おいしくて夜のドゥオーモも見れて
めちゃよかった


外観ももちろんだけど、聖堂内部もめちゃくちゃ壮大で、祈りのためにつくられた空間のスケールと、そこにかけられてるであろう思いにも、思いを馳せてしまった。
なんかこういうの見たら神様がいるって信じたくなるわな~と思う。
というか、神がいると信じたい(もしくは信じさせたい)からこういう場所をつくるのだろうけど。


姉に、「わたしと母のふたりだったら最後の晩餐もドゥオーモも見てなかったと思うから、こうやって連れてきてくれてありがとね」といわれて、びっくりした。
来ないの!!?!?ふたりだったら!!??!という驚きで。


でもそうか、他の人間と旅行することは、自分だったら行かないようなところにいくきっかけにもなるのか。
そしてそういう場所が、自分にとって大切な場所や目の覚めるような一瞬をもたらしてくれることもあるのか。


イタリアから戻ってきてから、みんなで行く旅行の愉しさを味わえてよかったなと思いつつ、また一人旅したい……!!!という思いがじわじわ湧いてたのだけれど、バランスよく行けたらいいなと思う。

なんかなーひとりのほうが心細さとか共有しにくいつまんなさとかあるんだけど、帰ってきてから不思議と自分にとって栄養になっていた感覚がある。
なんでだろ??自分のできること、できないこと諸々や自分の感情に集中しやすいからかな???

誰かといるからたのしい、という魔法が作動しないからこそ、自分とその国や場所がシビアに浮き彫りになる感じがする。良くも悪くも。
日本にいると、他人との会話ありきでようやく自分の輪郭がわかる感じがあるけど、海外は、相手の国の文化によって自分の輪郭が炙り出される感じというか。
やっぱ母国って母国なんだなーーー。



来年はフィンランドに!!!!行く!!!!
現時点でひとりのつもりだけど、また韓国みたいに、あれっ?思ってたよりなんか… になるかな~。
ヨーロッパ圏って歩くだけでロマンチックだけど、北欧はどうなんだろう。
湖と自然のイメージだから、そういうコテージ的な場所にはやっぱり自分にとって大切な人間と行ったほうがたのしいだろうなと思いつつ、そうなると候補がふたりとかで、でもな~ひとりで行きたい気分もあるし、迷うな~。

旅行って、普段自分を曝け出さない人でも、海だの山だの、意欲的にボケーーーっとしてるときに、ぽろっと大事なことをいってくれたりして、
買い物とかそういうのもたのしいけど、個人的にはそういう時間が一番自分のなかに残るなあと思う。

今回のイタリアも、ソレントのビーチで姉と友情や姉の恋人について話したけど、ああだから姉はこの男が好きなのか、という新しい視点を得られてとてもよかった。


Googleマップで店員の態度についての口コミが
しぬほど悪くて
震えてたけど普通だったビーチ🏖️


あとサーフィンをウィッシュリストに入れてて、だから足がつかないようなところでもちゃんと泳げた方がいいよなと思って、往復で25mくらい海で泳いだけど、波もあって、あと最近サメ映画をよく見ていて、なんかいたらどうしようとか思ってしまって途中でパニックになりかけた。
最後の数メートルは焦って犬泳ぎで帰った。


怖い、海。でも泳ごうと思えば泳げる。からサーフィンもできるはずだけど…
やっぱ山も怖いけど、海もめちゃくちゃ怖いな。
だけど怖いからこそより惹かれるのかもしれない。
あーーーーーーータイタニック見にいきたかったなあ。
あんな事故起こってしまったら、やっぱ無理なのかな… と思う。
でも海は好きだ、神秘的。
海関連のウィッシュリスト、着実に増えていくなあ。



あとミラノ散策してるときにversace本社見れたのもうれしかった~~~!
hyunjinが足を運んだであろうversace本社…🥹🥹

アンバサダーと期待され気に入られ、本当すごいよ…
話題になる、お金になる、という前提があれど、そのファン層以外の人からブランドのイメージに合っている、魅力的だと認められているというのはうれしい。

ミラノ自体は思っているより殺伐としていてびっくりした。
治安が悪めの東京にいるみたいだったから、あまり魅力的だとは思わなかったけど、ナポリはどうなんだろう。今回行けなかったからまた行きたいな~。


青の洞窟も行けてよかった🐟
中はおっさんたちが歌いまくっており
うるさい


あとは教会がソレントの至るところにあって、うれしかった。
キリスト教徒ではないけど、教会は昔からすき。
目につく教会に片っ端から入ってみたけど、内装も全然雰囲気が違って、あーーーこれ本で読んだやつ~!!!!プロテスタントか否かとかそういうやつ…!!!!となった。
知らないことも多いけど、それでも厳かでほっとできる感じで、すきだ。
日本の教会ってそういえばちゃんと行ったことないかも。
教会が家のそばにあったらいいのになーと思う。



感想

自分が好きなものにアクセスしやすい場所に住む、というのは人生の幸福度と直結する。
海や、芸術にアクセスしやすい場所が好みだということが徐々にわかってきた。あと教会。すき。


ただ今回のイタリアで食事もめちゃくちゃ大事だよなと改めて感じた。
やっぱりなんだかんだ食べ疲れしない和食が好きだ。

鮮度いいムール貝って
ぷりぷりなんだ!!という驚き



少し気を抜くと?緊張すると??やっぱりいろいろ考えてしまうから、シンプルに圧倒されるもので脳を黙らせたい欲望があるらしいことも、この月報を書き始めて気づいた。
なんというか、もっと体と心と脳味噌を密接にリンクさせていたいというか。
生き物として心地よい場所にいつつ、社会参加していたい。

あと好きな服を着て、ときめいたものをちゃんと買えたのもハッピーだったから、それは日本でもやっていきたいな~。
パリと同じぐらい好きだった、ソレント。
それはもはやイタリアが、というより、ソレントが、という感じなのだろうけれど。


韓国ではウオオオとならなかったけど、やはりイタリアではウオオオオオとなることが多かったし、そこから自分が好きなものもより色濃く見えた。
やっぱり自分がよりつよく異文化!!!と感じる場所で、よりつよく自分の好みは漏れ出る気がする。
定期的に行きたい、海外。
というか住みたいそろそろ… そこに向けての準備も進めていくぞ…❗️❗️


これを書いているのは9月後半だけど、最近脳に溜まってしまうようなノイズ(主にSNS)をもっと減らしたいなと思って、ふとスマホ開放日を設けた。
ら、めーーーーーちゃくちゃいい。
長らく「減らしたいもの」にスマホを触る時間と書いていたけれど、全然減らせなくて。
でも思考一つ変わっただけで、前よりSNSを見ないことが苦痛じゃなくできるようになってきた。
SNSがきっかけで新しい自分好みのものを知ったり、大仰じゃなく人生が変わる人もいるだろう。


ただわたしがやりたいことに対して、SNSが脳のノイズをもたらすというか、本当にやりたいことを後回しにさせてくる力が凄まじかったけど、スマホを触る時間を手放すだけで、やりたかったことや好きなことができるんだなと実感できた。

まあでも継続できるかはまた別だけど…🙂‍↕️🙂‍↕️

自分のなかで徐々にバウンダリーが形成されつつあるのを感じている。
それもとってもとってもうれしい。
今年は、本当にいい年だな。いい締めくくりにしたいな。

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