答え合わせの話- 異国の情緒・エキゾチカ -
人生28年も生きていたら、「ああ、あの現象なんやろ、俺だけ体験している事かな?」と思える「言葉にできない」体験や経験がありますよね。例えば、行ったことがなく時代も違う写真や絵を見て、どこか懐かしいなあと思う事。これなんて事象や!言葉にできないですよね。...小田和正か...
僕は、小学生の頃、
人生ってただサラリーマンして収入稼ぐだけで、人間終わっていく生活に疑問を持ってた。経済活動は、大切だけどそれを回すために生まれてきたわけじゃない。人生って虚しいな。とか考えてた。
で大学生に入って、文化人類学という学問に出会って、小学生・中学生時代に思ってた事や考えてた事の答え合わせができたような気がした。これと似た感覚。
今回も何か
答え合わせができた
話である。
以前、僕が書いた記事で紹介した「やけのはら」さん。彼の本が漸く届いたので読んでいる。内容は、音楽家や映画監督・タモリさんなどの生き方、音楽ジャンルの説明など"文化"に関する案内といった内容で、読んでいて面白い。
そこで、今回は、本書の
2014 近づけば遠くなる エキゾチック・ミュージック p76
のエキゾチカに関して書こうと思う。
エキゾチカとは、
米国の作曲家、編曲家であるマーティン・デニーが1956年に発表した、『エキゾチカ』という名のアルバムから始まったとされる、スタイル、ジャンル
(本書 p74 l.1-2)
であるそうだ。エキゾチカの語源はエキゾチック。異国的という意味。ここではない何処か。
確かにマーティン・デニーのエキゾチカ、ここではない何処かを想起させる異国的なメロディ。
このエキゾチカ、型式よりも、発想や構図が核となるらしい。大切なのは、対象との距離。物理的な距離もそうだが時間、文化の差異も入るとやけのはらさんはいう。(本書 p76 l.3-4)
同じ場所であっても、時間の離れた、ノスタルジーというものも、受け手からの距離が遠ければエキゾとして成り立つ。
(本書 p76 l.4-5)
なるほど。物理的な距離が離れているハワイや南国のジャングル、それらの森にある村で流れている音楽や文化活動。確かにエキゾチックを感じる。ハワイや南国のジャングルはイメージし易いエキゾだ。じゃあ、日本におけるエキゾはどうだろう。
やけのはらさんは、こう書いている。
映画『ALWAYS 三丁目の夕日』的な昭和の町並み、暮らしぶりというのは、その時代を体験している世代からみれば、ノスタルジーだが、その時代を生きていない世代から見れば、ノスタルジーでありつつ、またエキゾチックなものとしても享受されるのではないだろうか。しかし、江戸時代にエキゾを感じても、ノスタルジーを感じるのは難しい。自分が今いる場所から連続性が強く感じられれば、未体験のものでもノスタルジーを喚起するが、遠く離れすぎると...
(本書 p76 l.5-10)
自分が今いる時代からの連続性
時間というのは、過去→現在→未来と連続性という性質を持っていて、令和の時代の現在、平成や昭和、大正とおそらくノスタルジーを喚起できるかと思う。江戸時代や明治時代の事にノスタルジーやエキゾを感じないのは、現在江戸時代から生きている人に会って話していない。その時代の文化に触れていない。(強く影響を受けていない)などあると思う。
そこで、僕がこの本のこの章を読んで「答え合わせができた」事は、
異国情緒を感じるのは、今まで僕が触れてきた音楽や本、誰かとの会話・写真など日常に置いて触れる数が多い文化を通してきたからだと思った。連続性。過去から未来への水流。まさしく、文化の継承。
という事。考えてはいるけど、言葉にできなかったりうまく説明できない事を発見できる良い本だなあ。今日も異国情緒を思いながら床に入るとするか。