『ビースターズ』シーズン1をみた
今更だけどビースターズのシーズン1を見たので、その感想の備忘録。草食動物/肉食動物というカテゴリをジェンダーの関係のメタファーととらえたとき、「本能」の書き方に危ういところが多分にあるが、この先どうなるかが気になるとても面白い作品だと思った。二項対立のなかでの権力の不均衡をひとつの恋愛関係(そして三角関係)をとおして描きつつ、それはひととひと(獣だけど)が交流するときつねに危害を(不均衡に)与えあうということを描いてもいる。個人的にいまのマイブームがそうした親密な関係の中での差異、対立みたいなところにあるので、この先の展開次第だなとおもいつつも、見るべき作品と思った(ジェンダーとからめて卒論とかで扱うのも面白そう)。
有害な男性性
ep10での「無害でありたい」というレゴシの願いは、現代の男性性のあり方と被るところが大いにある。肉食獣が草食動物の方が優遇されていると憤る一方で、草食動物たちは命の危険を日常として感じる不均衡。
そもそも本来多様であるはずの動物が「肉食」「草食」の二種類にカテゴリ化されていることを考えても、この作品での肉食動物と草食動物がジェンダーと同じ構造を持っていることは明らかである。
※漫画の方は先まで読んでないけど、Twitterで出てきた広告に「草食動物専用車両」なんてものも登場しているのをみた。あからさまだ。
小柄で可愛らしいウサギの少女と、そんなウサギに恋をした力のある狼の少年が自分の力に責任を持つようになる物語。肉食獣と草食獣のステレオタイプは性差のステレオタイプによって増強される。この作品にはそうした区別を越境するキャラクターはいくつか存在するけど、基本的にはジェンダーの問題は前景化されない。メスのハイイロオオカミのジュノと、アカシカのルイ先輩だけがそれぞれメスなのに、オスなのに肉食獣/草食獣であるが、ふたりは「美貌」と「人気」でそうした自分の種としての「運命」にあらがおうとしている。しかしここでもジュノはかなり自分の強さややっていることに無自覚な一方で、ルイは自分の弱さにものすごく自覚的だという不均衡がある。
ep8でジュノに迫られたハルは自分が食べられてしまうのではないかという恐怖を抱いていないように見える。食殺はレイプのメタファーであり、この作品では時々ジェンダーの区別が種族の対立を易々と超える。
文化と本能
この作品のキャラクターたちはどのようにして「違う」生き物が共存するかを模索する一方で、それを初めから諦めてもいる。それはそれぞれの動物が抱く「本能」のためである。
日常生活を共に営んでいる友人を、ふとした瞬間に食べたくてたまらなくなってしまう。そうした衝動のことをある種の運命論的に、この作品では「本能」と呼んでんでいる。肉食動物だけどそうした運命を克服したキャラクターとしてパンダのゴウヒンがいるが、それも「笹のみでも生きて行ける」というパンダの特性ありきだ(どのくらい生物学的に正しいのかは正直あまりわからない。というよりこの作品の動物の特性自体がより一般的な理解に基づいていると言ってよいと思う)。
一方で、フェミニズムは男女の身体的な差異を前提とした平等の実現を目指すとしても、そうした差異を「生物学的」な「本能」や「運命」として流布する言説には懐疑的である。いや、そうでなくてはならない。
いくら男性には女性と違う性欲の機構があるとしても、レイプが正当化されることはない、と言えばわかりやすいだろうか。
その意味で、ビースターズにおける「本能」の描かれ方は、非常に危うい。もちろんこの作品でも「食殺」が正当化されてはいない。だけど、「あって当然のもの」「仕方がないもの」という理解を、特に草食動物ほど、内面化しているように見える。一話でのハルの諦めがその例だ。
セックスと文化
恋心と性欲、そして食欲を、レゴシはハルに恋心を打ち明けた後も、依然区別しきれていないように見える。一方でハルにとってはその区別は文字通り命取りである。
ハルは、種族の間の差異や種族(≒性別)から逃れる場所として、セックスというコミュニケーションのあり方を選択している。と、少なくとも自分では認識している。差異を抹消するというのではなく、種族に張り付いたステレオタイプを引き剥がし、生身の人間(獣だけど)として向き合える場だと、彼女は思っている。ハルにとってセックスは「本能」がなせるものではなく、究極の異種混淆のコミュニケーションであり文化なのだと思う。
だからこそ、ハルはレゴシに対して「抱くか食べるか」の二項対立を提示したのではないか。
そうやって理解すると、この作品が提示する「性」は、「本能」と対置されていることがわかる。それにしては男女のキャラクター造形がステレオタイプすぎるんだけど…。
まとめ
自分自身が社会の女性蔑視的な構造やフェミニズムの意義を全く理解していなかった、みんな平等という上辺だけを飲みこんでいた中高生から、大学に入りフェミニズムに触れ、そして女として生きるためのキャリア選択(というほど高尚なものはしていないけど)をしなければいけない、と気づい多年代なので、こうしたユートピア的な学園生活という舞台設定が面白いと思った。実はこれを書いている時はすでにシーズン2を中盤ぐらいまで見ているんだけど、こうして徐々に学校の外の世界が侵食してきて、そこで生きざるを得ないことをみんなが自覚していく。うう、獣とはいえみんな偉いなあ。
その「現実」がどこまでアクチュアルで実体を持っているのかということを常に問うのは大人の役目だろう!とにかく、差異を無視しないながら、運命として受け止めるのでもない、もがいて生きている子どもたちが諦めないような社会を目指していきたいね、と思わせられるような作品でした。