ブログ紹介☆一念の違いで無限の可能性が。

空・縁起・「色心・依正不二」 : 「創価ルネサンスの思想」の旅 (livedoor.blog)
2022年01月20日

縁起(えんぎ)2

東洋の智慧を語る
季 羨林(き せんりん)
蒋 忠新(しょう ちゅうしん)
池田 大作
東洋哲学研究所
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第7章 東洋文化の精髄―「天人合一」と「依正不二」
9 天台の「一念三千」論 より

P365
池田)
華厳(けごん)思想は、『華厳経(けごんきょう)』に出てくる整然とした宇宙観、世界観をもとに「唯心縁起(ゆいしんえんぎ)」とか「法界縁起(ほっかいえんぎ)」とか言われる法門を構築(こうちく)していきました。

心を離れて対象世界が存在することはなく、心の展開によって現象世界の現れがあるというものです。

「法界縁起」を表す譬喩(ひゆ)として、私は、1998年の「SGIの日」記念提言で環境問題を論じたさい、「帝釈天(たいしゃくてん)の大網(たいもう)」を引用しました。

――帝釈天の宮殿に懸(か)かる大網には、無数の結び目があり、そこに宝石〈珠(たま)〉が結び付けられている。そして、すべての宝石が、他の宝石をきらびやかに映(うつ)し出し、相互に反映し合っている――。

万物(ばんぶつ)がこのような無限の相互作用をなす世界を「法界縁起」と表現しています。

これに対して、鳩摩羅什(くまらじゅう)や僧肇(そうじょう)などが深く学んだ「般若空(はんにゃくう)」の思想は、「縁起」を人間の意識や言語の作用を考える時に用いております。

たとえば、親という存在は子どもという存在を前提としているのであって、子どもと別に親という存在はない。しかし、人が親と子という存在を分けて、差別しようとする。「親」と「子」という言葉に対して、独立して存在する実体はなく、たがいに依存(いぞん)した意識や言葉のうえの存在でしかないという考えです。

華厳思想とは違った視座(しざ)からの「縁起」の表し方ですが、どちらとも事物を固定的、実体的に考える態度を戒(いまし)めたものです。

そして、天台の「一念三千」論の考え方は、それらを大きく統合(とうごう)しようとしたものと言えましょう。

この法理は、人間の「一瞬の心」、すなわち「一念」の働きに、「世界」を生み出す無限の可能性をみたものです。

天台は、「一念三千」論の中で、大宇宙の構造を「三世間(さんせけん)」とも表現しております。

ここに三世間とは、「五陰(ごおん)世間」「衆生(しゅじょう)世間」「国土(こくど)世間」を指します。「依正不二」論との関連でみれば、「五陰世間」「衆生世間」が正報(しょうほう)に当たり、「国土世間」が「依報(えほう)」になります。

「正報」(「五陰世間」「衆生世間」)と「依報」(「国土世間」)は「不二(ふに)」となって、大宇宙、大自然を形成し、しかも「一念」の中に包摂(ほうせつ)されると言うのです。

この「一念三千」論は、まさにインド哲学の「梵我一如(ぼんがいちにょ)」、そして中国思想の「天人合一(てんじんごういつ)」と通底している東洋思想の極致(きょくち)と言えましょう。