「観心本尊抄」予想問題集25 (第16章から第31章まで)

Q26. 御文から 信解品第4より「無上の宝珠は、求めざるに自ずから得たり」とは、何の譬えを聞いた四大声聞の言葉か。

Q27. 「我らが己心の釈尊は、五百塵点乃至所顕の三身にして[無始の古仏]なり」の御文から、「我ら」とは、地涌の菩薩の上首・上行菩薩らという意味だが、無始の古仏とは、何如来に当たるか。


Q28. 御文に「地涌千界の菩薩は[       ] の眷属なり」とあるが、[      ]に御文の通りに言葉を埋めよ。


Q29. 地涌の菩薩の四導師、四菩薩のそれぞれ四名の名前を答えよ。


Q30. 妙楽大師は、「当に知るべし、身土は一念三千なり。故に、成道の時、この本理に称って、一身一念法界に遍し」等云々。とあるが、①身土は一念三千なり。とは何の法門のことを言っているか。②この本理とは何か。

Q31. 受持即観心について、私たちにとって、御本尊(妙法)を受持すること、すなわち[         ]が観心となる。[        ]に言葉を埋めよ。


Q32. 身土とは、衆生の境涯を現実に構成する身と国土である。一念三千の三世間でいえば、どうなるか。


Q33. 大聖人が、自行化他の御振る舞いとして体現されている一念三千(事の一念三千)、すなわち妙法をそのまま直ちに、どうしたのが、本抄の真意となるのか。


Q34. 御文に「ただ地涌千界を召して、八品を説いてこれを付嘱したもう」とあるが、八品とは、何か。


Q35. 五重三段は、なにを明かされているか。


Q36. 五重三段で、第四重・本門脱益三段の正宗分も「一品二半」であるが、第五重・文底下種三段の正宗分「一品二半」は、それとは、意義が異なっている。後者の「一品二半」の対象となる機根について、大聖人は、「その機を論ずれば、徳薄・垢重・幼稚・貧窮・孤露にして禽獣に同ずるなり」と記されている。これは、だれを指しているか。


Q37.「在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。ただし、彼は脱、これは種なり。彼は一品二半、これはただ題目の五字なり。」と述べ、「在世の本門」と「末法の初め」を三点にわたって対比して、この御文は何を明かされているか。


Q38. 全体的にいうと、五重三段の流通分は、なにを示しているか。


Q39. 文底下種三段は、別名なんというか。


Q40. 第四重・本門脱益三段の「序文」「正宗分」「流通分」をそれぞれ答えなさい。


Q41. 涌出品で釈尊が「止みね。善男子よ。汝等が此の経を護持せんことを須いじ」などと述べたが、大聖人はその要点として「此の経」として①なにを授与できないとしているか。また、天台大師は、「前三後三」のうち「後三」で②だれに授与するといっているか。


Q42.天台大師の前三後三の解釈を6点述べよ。


Q43. 日蓮大聖人は、特に寿量品の「良医病子の譬え」に説かれている「使いを遣わして還って告ぐ」の「使い」とは誰か、また、仏が残した「この好き良薬」とは何と言っているか。

Q44. 神力品第21後の嘱累品第22では、どんな儀式が行われたか。


Q45. 第29章から 「仏の世に出ずるは霊山八年の諸人のためにあらず」とあるが、釈尊の出世の本懐は、いつの人々のためであると後述されているか。

Q46. 「五の五百歳」とはいつのことか。


Q47.日蓮大聖人は、「こういう時代にこそ、地涌の菩薩が初めて出現し、南無妙法蓮華経の五字を末法の幼稚な衆生に服させるのである」と断言されている。本抄の題号「時」「応」「法」「機」に当てよ。


Q48. 「謗ずるという因によって悪道に堕ち、必ずその因縁によって大利益を得る」とは、何の功徳をいうか。


Q49. 地涌の菩薩は、「時」に応じて折伏と摂受を行じて、末法の人々を救ってくが、第29章からその御文をそのまま答えよ。


Q50. 第30章に「伝教大師、日本にして末法の始めを記して云わく「代を語れば像の終わり末の初め、地を尋ぬれば唐の東・羯の西、人を原ぬれば則ち五濁の生・闘諍の時なり。経に云わく『なお怨嫉多し。いわんや滅度して後をや』。この言、良に以有るなり」。この釈に「闘諍の時」云々。
とあるが、「闘諍の時」とは、何を指すか。