「観心本尊抄」予想問題集25の解答 [難易度★★☆]

Q26. 御文から 信解品第4より「無上の宝珠は、求めざるに自ずから得たり」とは、何の譬えを聞いた四大声聞の言葉か。
三車火宅の譬え

Q27. 「我らが己心の釈尊は、五百塵点乃至所顕の三身にして[無始の古仏]なり」の御文から、「我ら」とは、地涌の菩薩の上首・上行菩薩らという意味だが、無始の古仏とは、何如来に当たるか。
久遠元初の自受用報身如来

Q28. 御文に「地涌千界の菩薩は[       ] の眷属なり」とあるが、[      ]に御文の通りに言葉を埋めよ。
己心の釈尊

Q29. 地涌の菩薩の四導師、四菩薩のそれぞれ四名の名前を答えよ。
上行・無辺行・浄行・安立行

Q30. 妙楽大師は、「当に知るべし、身土は一念三千なり。故に、成道の時、この本理に称って、一身一念法界に遍し」等云々。とあるが、①身土は一念三千なり。とは何の法門のことを言っているか。②この本理とは何か。
①依正不二の法門
②十界互具・一念三千(すなわち因果倶持の妙法)


Q31. 受持即観心について、私たちにとって、御本尊(妙法)を受持すること、すなわち[         ]が観心となる。[        ]に言葉を埋めよ。
信心

Q32. 身土とは、衆生の境涯を現実に構成する身と国土である。一念三千の三世間でいえば、どうなるか。
身…五陰世間、衆生世間
土…国土世間                      教材p166


Q33. 大聖人が、自行化他の御振る舞いとして体現されている一念三千(事の一念三千)、すなわち妙法をそのまま直ちに、どうしたのが、本抄の真意となるのか。
末法の凡夫が成仏するための御本尊としたこと 教材P167

Q34. 御文に「ただ地涌千界を召して、八品を説いてこれを付嘱したもう」とあるが、八品とは、何か。
法華経涌出品第15から嘱累品第22までの八品

Q35. 五重三段は、なにを明かされているか。
仏が説こうとした最も根本の教えである「本門の肝心・南無妙法蓮華経の五字」がどこに説かれているかを追究し、この南無妙法蓮華経が末法の凡夫にとって下種益を具え、成仏を可能とする本尊であること

Q36. 五重三段で、第四重・本門脱益三段の正宗分も「一品二半」であるが、第五重・文底下種三段の正宗分「一品二半」は、それとは、意義が異なっている。後者の「一品二半」の対象となる機根について、大聖人は、「その機を論ずれば、徳薄・垢重・幼稚・貧窮・孤露にして禽獣に同ずるなり」と記されている。これは、だれを指しているか。
末法の衆生

Q37.「在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。ただし、彼は脱、これは種なり。彼は一品二半、これはただ題目の五字なり。」と述べ、「在世の本門」と「末法の初め」を三点にわたって対比して、この御文は何を明かされているか。
種脱相対

Q38. 全体的にいうと、五重三段の流通分は、なにを示しているか。
正宗分の弘教方法

Q39. 文底下種三段は、別名なんというか。
末法の下種三段

Q40. 第四重・本門脱益三段の「序文」「正宗分」「流通分」をそれぞれ答えなさい。
序分…従地涌出品の前半
正宗分…一品二半(従地涌出品の後半、如来寿量品、分別功徳品の前半)
流通分…分別功徳品の後半~普賢経


Q41. 涌出品で釈尊が「止みね。善男子よ。汝等が此の経を護持せんことを須いじ」などと述べたが、大聖人はその要点として「此の経」として①なにを授与できないとしているか。また、天台大師は、「前三後三」のうち「後三」で②だれに授与するといっているか。
①迹化・他方の菩薩には「内証の寿量品」を授与できないこと
②地涌の菩薩 P237の内容でも可


Q42.天台大師の前三後三の解釈を6点述べよ。
前三義は、①他方の菩薩はそれぞれの土において自己の任務があること②他方の菩薩娑婆世界との結縁が薄いこと③他方の菩薩弘法を許せば、地涌の菩薩を召し出すことができず、迹を破し久遠を顕すこと(開近顕遠始成正覚を開いて久遠実成を顕すこと)ができなくなることをいう。後三義は、①地涌の菩薩久遠の仏の本眷属であること②地涌の菩薩娑婆世界結縁深厚であること③地涌の菩薩を召し出すことによって開近顕遠を示すことができることをいう。前三後三 の内容・解説 | 教学用語検索|創価学会公式サイト-SOKAnet

Q43. 日蓮大聖人は、特に寿量品の「良医病子の譬え」に説かれている「使いを遣わして還って告ぐ」の「使い」とは誰か、また、仏が残した「この好き良薬」とは何と言っているか。
「使い」…地涌の菩薩
「この好き良薬」…名・体・宗・用・教の南無妙法蓮華経


Q44. 神力品第21後の嘱累品第22では、どんな儀式が行われたか。
総付嘱

Q45. 第29章から 「仏の世に出ずるは霊山八年の諸人のためにあらず」とあるが、釈尊の出世の本懐は、いつの人々のためであると後述されているか。
釈尊滅後正法・像法・末法時代の人々のため

Q46. 「五の五百歳」とはいつのことか。
釈尊の滅後を500年ずつ五つの時期に区分したうちの「最後の五百年」のこと。

Q47.日蓮大聖人は、「こういう時代にこそ、地涌の菩薩が初めて出現し、南無妙法蓮華経の五字を末法の幼稚な衆生に服させるのである」と断言されている。本抄の題号「時」「応」「法」「機」に当てよ。
「時」…こういう時代
「応」…地涌の菩薩が初めて出現
「法」…無妙法蓮華経の五字
「機」…末法の幼稚な衆生に服させる


Q48. 「謗ずるという因によって悪道に堕ち、必ずその因縁によって大利益を得る」とは、何の功徳をいうか。
逆縁の功徳

Q49. 地涌の菩薩は、「時」に応じて折伏と摂受を行じて、末法の人々を救ってくが、第29章からその御文をそのまま答えよ。
この四菩薩、折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す。

Q50. 第30章に「伝教大師、日本にして末法の始めを記して云わく「代を語れば像の終わり末の初め、地を尋ぬれば唐の東・羯の西、人を原ぬれば則ち五濁の生・闘諍の時なり。経に云わく『なお怨嫉多し。いわんや滅度して後をや』。この言、良に以有るなり」。この釈に「闘諍の時」云々。
とあるが、「闘諍の時」とは、何を指すか。
今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指す