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「どうして固有名詞が思い出せなくなるのか」、を少しだけ考える。

 記憶力そのものが衰えていくのは、脳も体の一部であれば、それは仕方がないというか、自然なことだとは思います。個人的には、若い頃に記憶力というものにまったく自信がなく、衰えにそれほどのショックがなくても、明らかに能力が落ちている自覚があるのは、固有名詞に関して、です。

 頭の中に、その人の顔や声や、その仕事の成果や作品もはっきりと浮かんでいるのに、その人の名前だけが、どうしても浮かびません。そんな現象は、ある程度の年齢の方でしたら、共感を持って、うなづいてくださると思います。だけど、私も若い頃は、そこまで思い出していて、名前が出ないなんて、本当だろうかという疑う気持ちと、そんな状態はつらいのではないかと思っていましたが、それは本当で、辛いことを、今は毎日のように感じています。


 たとえば、これも、本当に個人的なことですが、一時期、美術家のジャコメッティに関して、その現象が頻繁に起こったことがあります。
 極限まで細くした人体が、最初の印象は、ケチなのではないか、とまで思っていたのが、これだけ徹底して、最低限の物量を持つ立体として製作して、発表できるのは、本当にすごい、と2017年の展覧会を見て、改めて思いました。その頃、その作品と、その凄さを感じた気持ちも同時に頭に浮かんでいるのに、「ジャコメッティ」という名前だけが浮かばない、という時間がしばらく続いて、だから、その作品がすごいと思ったこと自体が、本当なのだろうか、と自分のことを疑うような気持ちにまでなりました。


 どうして、固有名詞を思い出せなくなるのでしょうか。

 そうしたことは、もっと専門家の人たちが考えてくれていて、研究もしているので、これから書くことも、記憶力の下り坂にいる当事者の実感に過ぎないので、浅はかな思考になる可能性はあるのですが、一つ考えるようになったことがあります。

 固有名詞は、本当は、その存在と、直接、関係がないから、忘れやすいのではないでしょうか。

 たとえば、人の名前ですが、本当に身近な人でしたら、それこそ、その人の存在と固有名詞は刻み込まれるように一体化しているから、おそらくは忘れにくいと思います。だけど、知り合いとか、有名人とか、そんな人たちであったら、その人の名前と、その人の姿は、直接の関係はないことが多いのではないでしょうか。

 少し説明を加えれば、たとえば、本当に、ただの思いつきの例えですみませんが、熊野、という名前の人が、熊のように大きくて、いかにも熊のように見えたとしたら、熊野という名前は忘れにくいとは思いますが、大体は、名前は偶然につけられたもので、その人の見かけのイメージと一致する場合は少ないと思います。

 そうなると、脳内の記憶作業としては、その人の姿と、固有名詞を、かなり無理をして、くっつけて(結びつけて)いるのではないでしょうか。

 年齢が高くなってくると、記憶力の衰えとともに、その無理に「くっつけて(結びつけて)いる部分」から、はずれやすくなる。
 そして、その人の具体的な情報と、固有名詞は、それぞれは記憶しているけれど、ばらばらになってしまい、とっさには結びつかなくなってくる。それが、歳を重ねてきて、固有名詞が思い出せなくなってくる、という個人的なイメージです。

 だから、固有名詞自体を忘れてしまうというよりは、固有名詞と、具体的な存在を、くっつけてきた(結びつけてきた)能力が衰える。すると、その人の具体的な情報を思い出すことができても、とっさに名前が出てこない。そう考えたほうが、自然に受け入れられるような気もします。


 さらに、自分のことを振り返ることになり、申し訳ないのですが、ジャコメッティの名前を忘れてしまいがちになったのは、それまで名前と作品をくっつけている脳内の作業は行われていたとは思うのですが、実際の作品を見て、すごいと思い、心も動き、そのことで、また新しく記憶されたものが増えた可能性があります。もともと、年をとって記憶力が衰えていて、今までやっとの思いで、名前と作品を無理にくっつけていた記憶力のエネルギーを、新しい感動の記憶などでとられてしまい、より思い出せなくなっていたのではないか、とも思いました。

 そして、これは、自分をかばうような思考かもしれませんが、自分にとっては固有名詞よりも、その作品で受けた感動のようなものの方が優先されていた、と言えるのかもしれません。
 ただ、これも全体的な記憶力の低下、という冷静なまとめ方もできると思います。


 少し前、「脳内記憶倉庫」のことを考えていた時に、どうして固有名詞から忘れてしまうのだろう?と思ったのですが、それは、『「脳内記憶倉庫」の機能低下が、「興味」を奪うことを考える』を進めていく時には、少し脇道のような気がしていました。同時に、大事なことでもあると思ったので、忘れないうちに、もう少し考えて、今回、こうして書こうと思いました。

 たとえば、専門的な視点から見たら、すでに語られていたり、間違いがあるかもしれませんが、記憶力の低下にそれほどのショックを感じていないとはいえ、それでも、固有名詞を本当に忘れがちになってきた当事者の1人として、特に何かを調べることなく、その理由を考えてみた、という限界は自覚していますので、ご容赦ください。


(他にもいろいろと書いています↓。クリックして読んでもらえたら、ありがたく思います)。


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