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真夏のごほうび

 35度を超える気温は、やっぱり暑い。

 体が、ちょっとした異常事態を感じているせいか、構えるような気持ちになってしまう。同時に、うわっ暑い、と言葉にしてしまうのは、自分の体を覚悟させるためかもしれない。

 そんなややこしいことを、暑い中で考えることもある。


ごほうび

 出かけるギリギリまでシャツとワイシャツを着るのをためらってしまうのは、たちまち汗をかいてしまうからだけど、時々、そんなタイミングを測っている自分が、何やっているのだろう?と思ったりもする。

 その一方、ありがたいことに、妻が私の靴を玄関の外で磨いてくれている。

 何か話している。

「あ、風が吹いた。
 ---気持ちいいね。
 ごほうびだね」。

 その言葉を聞いていたら、こちらまで少しうれしくなった。

 暑い時は、風までありがたいことになる。それはわかるけれど、ごほうびとまでは思わなかった。

 なんだか、すごいと感じる。

 まだ最高気温が35度になるのはまれだった20世紀に学生をしていて、土のグランドでサッカー部の練習をしていたことがある。

 夏休みの間も、可能な日はすべて練習をする方針だったし、夏だからといって、メニューが楽になるわけでもなかったから、暑い日は憂うつだった。

 だけど、そんな気持ちを表に出すわけにもいかなかったけれど、時々、空を見ていた。

 太陽が強い日差しを何の遠慮もなく放ち続けているのは、それをなんとかするのは無理でも、空に雲があると、ちょっと、、と思っていた。雲が大きめだったり、あっちが透けるような薄さではなく、ある程度の厚みがある雲が太陽に向かっていくのは、ちょっとした希望だった。

 あの雲が太陽を隠してくれれば、すごくほんのちょっとだけど、涼しくなる。そんなことを思っていたけれど、練習中だから、ずっと見ているわけにもいかない。

 だけど、その願い通りに雲が日差しをさえぎってくれたら、ちょっとうれしかったし、できたらもう少し長い間、雲にがんばってもらいたいとも感じていたけれど、夏の空はそんな甘いものではないので、すぐに太陽の強い光が復活したのもわかった。

 水を飲むと、汗が出て、かえって疲れてしまう。

 そんなよくわからない根拠によって、運動中に水を飲むな、と言われていた時代でもあって、よく倒れなかったとも思うのだけれど、それは夏でも、今ほど気温が高くなかったせいもあるはずだ。

夏のスポーツ

 すごく暑い夏をどう過ごすか、というよりも、どう考えて乗り切るか。

 真夏に野球をしている甲子園も、冷静に考えたら、異常なことだとは思う。35度を超えて酷暑日と言われ、できたら外出を控えてください、と言われていても、試合は行われているからだ。

 長く休みを取れる、という日程の都合によって、真夏の時期に全国大会がおこなわれているのだけど、そういえば、高校球児は夏の屋外でのプレーをどう思っているのだろうか。

 こういう気温のときに屋外でスポーツをするのは本来は異常なことだ、などと思っている高校球児は、やっぱりいるとは思うけれど、甲子園まで進んでくるようなエリートの野球選手は、そんなことを考えた時点で負けだ、などと思っているような気もする(偏見だと思います、すみません)。 

 何しろ、高校球児、と今でも表現されて、球の子ども、なのだから、「ボールは友だち」対等な関係を大空翼が主張したサッカーよりも、もっと野球の都合を優先させているのかもしれない。

ハワイ

 アメリカンフットボールで、大学日本一を決めると言われる「甲子園ボウル」にも出場したことがある選手が、夏の暑さへの対応のアンケートで、こうした答えをしていたのを記憶している。

 夏は暑い。
 太陽も強い。
 だから、ハワイにいると思って、それでせっかくハワイにいるのだから、ありがたく太陽の光を浴びるようにしています。

 こうした答えをしていたのは、確か一人だけで、冗談だとも思えるのだけど、そのプレーは独特で名選手と言われていたので、本当かもしれないとも感じられた。

 ただ、だからといって、そう簡単に真似ができることではなかった。

夏のごほうび

 暑い夏の日に、風が吹いて、それを「ごほうび」と妻は言って笑顔だったから、そのことに感心もしたのだけど、それで「ハワイと思い込む」話を思い出したのは、違うのだけど、どこかが通じるような気がしたからだった。

 夏は暑い。

 それは、時として熱中症になったりもするのだから、今では命の危険もあるようになってしまったから、暑い時は外出を避けたり、そうでなければ冷房を入れた室内で、夏の暑さを中和するようなことをするのが通常の行動だと思う。

 だけど、そうして外部の環境から距離を置くか、もしくは環境そのものを変えることによって夏の暑さを変質させるのではなく、暑い中でも風が吹く気持ちよさを「ごほうび」という言葉にすることによって、その風がとても価値があるもののように、それを聞いているだけの人間にも思わせてくれた。

 そのことによって、暑さの意味が、その瞬間だけでも、ただ避けるべきものとは、ちょっと違ったように思った。

 その感覚と、暑い夏の太陽を「ハワイにいると思い込む」ことは、どちらも環境を変えずに、意味を変えることによって、少しでも快適にするという行為だ。
 
 ただ、その受ける感じは違うのだけど(やはり、ふわっとした感覚と、ややマッチョな気合いは別なのかも)、思考や感覚という内部の変化によって、環境への印象を変える、ということで、やっぱり似ているように思ったのだった。


 そんなごちゃごちゃとしたことを考えるだけで、たぶん、暑苦しくはなるのだけど、風をごほうび、と表現することは、水をまいて、その行為も含めて、ほんの少しの涼しさを味わうようなこととも、確かに通じているはずだった。

 だから、真夏にわずかにふいた風に「ごほうび」と名前をつけるのは、大げさにいえば、言葉の打ち水に近いと思う。

 

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