勝手なお願いですが、できたら「字が汚い」ではなく、「字が下手」と言って欲しい。と思う理由を書きます。
仕事先に行って、手紙のあて先が目に入り、やけにインパクトのある文字だと思うと、自分が出した手紙だったことがある。
昔、仕事をしているときに、封筒に住所を書いていたら、そばで見ていた人が、いたたまれなくなった、というような仕草と表情で、変わります、と低いトーンで言われたこともあった。
自分自身が、文字を書くと、明らかに形が崩れているのは、知っている。だけど、丁寧に書いても、ぎりぎり読めるくらいしか書けない。
ダメな字
最近は、手書きの文字を書く機会は減ったとはいえ、この10年でも、特に初対面に近いところから、親しくなった人に、字のことは言われる。
自分の字が上手くないことを自覚している人に、「珍しく自分よりも下手な人に会いました」と、私の名前をあげてもらったことがあった。
別の人には、もう少し微妙な言い方で、女の子の字みたいですね、と言われたことがあり、それは、女性から言われたのだけど、いろいろな意味が乗ってしまっていたと思う。
どちらにしても、字が崩れているのだと思う。
最近になって、手書きの書類を書く機会があり、時間も限られているけれど、自分としては精一杯だったが、もう少し読みやすくしてもらえますか、と注意をされた。その人の文字は、きれいだった。
手や指が、これ以上、思い通りに動かないだけなのだけど、あまり伝わらないことが多いし、自分でも、努力不足なのかも、と思うことがある。
ただ、自分でも読めないことがあるから、ダメな字なのは、今は自覚している。
習字
小学校に入った頃は、文字を書いて、賞状をもらったこともある。後で振り返れば、素朴な文字だったのだと思う。自分の文字がうまいと思ったことはなかった。
それから、小学校の高学年の頃には、習字も習った。自分としては、かなり頑張ったのだけど、最初は7級から始まり、すぐに6級に上がるのだけど、その昇級が「異例」なほど遅く、それでからかわれたことも覚えている。
その頃、クラスの女子に「雑字」と言われた。
自分が、字が下手なのが、わかった。ちょっと意外だったから、そういう客観性に欠けていたのだと思う。
面接
それから大人になっていくときに、時々、笑われるようなこともあったのだけど、最低限、読めればいいと思っていたし、下手なことに恥ずかしさを感じることもなかった。
こう書いて気がつくのだけど、だから、上手くなろうとする時間があまりなかったことも、今の状況を生んでいるとは思う。
自分が気にしていなくても、時々、自分の字について、正面から苦情を言われることはあった。
就職活動をしていて、試験の中に小論文があった。内容には自信があったし、それなりに評価されたから、最終面接まで進めたとは思うのだけど、その席上で、何人も並んでいる、その会社の「偉い人」と思える人に、真面目な顔をして、聞かれた。
この字は、本当に丁寧に書いたのかね?
即答した。
はい、心をこめて、書きました。
そう言うしかなかったけれど、この場所で言われるほど、下手だろうか、とは思っていた。
会社
スポーツ新聞の会社に就職して、(ちなみに、字を指摘された会社とは別です)ゴルフ担当の記者になった。3月には出社していて、原稿を書くようになった。随分と昔なので、原稿用紙に水性ボールペンで、手書きで文字を書いていた。
締切間際だと、「あと5分で、30行」みたいな声に背中を押されるように、文字を書いていた。その頃に、原稿を整え見出しをつけて、レイアウトする整理部の人に、「お前は、新入社員のくせに、字だけはベテランだな」と言われた。
そう言われて、なるべく字をきれいに書こうとはしていたが、とにかくスピード重視の体になっていった。それに、上には上がいる、というか、原稿用紙の上に、ちりめんじゃこを散らしたような文字の人もいて(文章は素晴らしいけど)、どこかで安心していたのかもしれない。
上手くなる機会がなかった。というより、上手くなれる気もしなかった。
書く速度だけは、上がっていった。
筆圧
手書きで原稿を書いて、フリーライターになってからも、不思議なことに「ペンだこ」ができなかった。仕事だから、それなりに多く書いているはずなのに、自分の手の皮が丈夫なのかと思っていたが、ある時、妻に指摘された。
筆圧が、ものすごく、ないね。
知らなかった。本当に紙の上を滑らすように文字を書いていた、という言い方になるのだけど、筆圧がとても軽い人は、文字が上手く書けない、ということは知るようになったけれど、そこで、筆圧を上げることもできなかった。だから、ペンだこもできなかったのだと思う。
そういえば、イメージとしての文字と、自分の書いている文字が一致しない。
この辺りから、薄々、気がつき始める。
文字をうまく書くことは才能なのだと思うけれど、極端に、うまく文字を書けない人間もいるのだと思った。自分のように。
運動能力
いわゆる運動神経はよくなかった。
運動部に、なぜかいたけれど、技術の習得が極端に遅いのは分かっていた。だから、練習の量が必要になるけれど、それほど体力もないから、反復が足りていなかったから、うまくはならなかった。
字を書くときに、そのことを思い出した。
文字を普通にきれいに書ける人には、言い訳にとられそうだし、もしかしたら怒られそうなのだけど、同じ努力をしても、うまくなれない人間はいる、と思う。腕や手や指が、それほどうまく動かない。力も入っていない。それをうまくコントロールできていない。
運動が下手な人は、努力をしてもできないことが認められるように、文字を書くのも、体を動かす運動の一種なので、それが、練習しても人並みにできない人がいる。
おそらく、どれだけ、こういうことを書いても、甘えている、という言葉が飛んできそうなのは覚悟しているのだけど、自分も含めて、そんな人が一定数いると思う。
やろうとしても、できないだけ、なのだ。
「汚い」ではなく「下手」
自分が字が下手なのは自覚している。
妻にも、時々、あきれられる。
それでも、時々、気になるのは、その表現方法だった。
世の中でも、「字が汚い」と言われることがある。この前は、ドラマの中でも、その人の性格と共に、とても否定的に「字が汚い」と表現されていた。
「字が下手」と表現してほしい理由
ここからが、お願いで、今回の本題になります。
私のように「字が上手くかけない」人に対しても、「字が汚い」という言葉は、できれば使わないでもらえませんか。軽蔑や敵意があるのでなければ、できたら「字が下手」と言ってもらえないでしょうか。
そのほうが、状況を正確に表していると思います。
例えば、スポーツで、下手と言われるのは仕方がないけれど、汚いプレー、は反則がらみのフェアでないことになるので、あまり言わないと思います。ですので、これからは、できたら、敵意や軽蔑がない場合は、「字が下手」と表現した方がいいのではないでしょうか。
そんなことを、思っています。
もしかしたら、同じようなことを感じていらっしゃる方がいるかも、と思って、書きました。
賛同していただける方。反対の方でも、コメントをいただければ、うれしいです。よろしくお願いします。
(他にも、いろいろなことを書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。