とても個人的な平成史③「アニメが産業に成長した時代」 ガンダムが大仏に見えた日
今から11年前。平成21年。2009年8月17日。月曜日。
東京都内の、海のそばの潮風公園。その中の「太陽の広場」と名付けられた、ただの広い空き地のような場所に、ガンダムが立っていた。
夏休みで、東京ビッグサイトで開催されていたコミックマーケットは昨日までで、その人の多さを避けたつもりだったのに、東京テレポートという最寄りの駅からも、人もたくさん歩いていて、公園にも、人がすごく来ていた。ガンダムと少し距離をとって、取り巻くように、食べ物を提供する屋台が並んでいた。
ガンダムは、とても、大きかった。
かなり足が長く見えた。
実物大で、高さ18メートル。
ガンダムに対して、私自身は、その上の「ヤマト世代」なので、それほど強い思い入れもなかったが、ガンダム世代でもある友人に強く勧められて見に来た。だから、ここにいることに、どこか後ろめたさや申し訳なさもあったのだけど、それでも、その大きさでガンダムが立っているのは、それを見ているだけで、なんともいえない気持ちになった。
その足元を通って、くぐって、像にさわるだけのために、大勢の人が並んでいる。
奈良の大仏の柱の穴くぐり、長野の善光寺の戒壇めぐり、というような事と、似ていると思った。もう250万人が来ているそうで、それは、ある意味では、浦安の夢の国より、すごい人数なのではないか、などと思った。無料とはいえ、ガンダムは立っているだけだから、その立っている姿を見るだけのために、人が来ているのだから。
ここに集まっている人たちの、ほぼ全員が、携帯やカメラでガンダムを撮っている。同じようなポーズで、同じ方向を向いていて、祈っているようにさえ見えた。
ある大学の先生が、あれは仏像ですね、と言ったのを聞いていたせいで、その影響を受け過ぎているのではないかとも思っていたが、でも、現地に来たら、本当にそうだった。
人がきて、祈りをささげるように像を見上げ、その人の集まりをあてにして屋台まで出ている。
奈良の大仏は、約15メートルといわれるが、奈良時代に大仏が完成し、人が集まってくるのも、もちろん様々な違いはあるとは思うのだけど、基本的には、こんな風景だったのではないか、と思えた。
午後2時が近づくと、大勢の人たちが、妙に静かになり、始まりを待っているような空気の中で音楽が流れる。
そのあと、ガンダムが、ミストを出し、少し首が動き、目が光った。
それだけでオーッという空気になり、静かなどよめきが起こったようだった。
最後に首だけが上を向いた時は、一緒に空を見上げてしまったし、それを見守る大勢の人間の、いろいろな気持ちが、そこに集結していくようで、本当にファンといえなくて後ろめたさがある私まで、この動きだけでもいいのに、などと思えるようになった。
冷麺とカレーを両方とも屋台で700円で買って、ガンダムを見ながら、妻と一緒に食べた。しばらくいたら、太陽の強さで何だか疲れてきた。最後にハム串を500円で買って食べたら、けっこうおいしく、それから、ガンダムのお土産が欲しくなったが、そのショップに入るのに並ばなくてはいけなくて、あきらめた。
本当に参拝みたいな1日になった。帰ったら、陽に焼けてると、妻に笑われた。
機動戦士ガンダムのアニメが放映開始されたのは、1979年(昭和54年)だった。当初は視聴率もふるわなかった、というのは有名な話だが、その後、社会現象といわれるような影響を与えるようになり、「ガンプラ」といわれる商品の膨大な売り上げや、ゲームなどにもなり、何百億円の経済効果とともに語られるようになった。これは、すでに誰もが知っていて、わざわざ振り返ることでもないかもしれない。
平成に入っても、ガンダムシリーズは続けられていて、月並みな表現だけど、人気は衰えず、産業としても継続していった。こうしたことは、もっと詳しい人はたくさんいると思うのだけど、昭和に始まったアニメが、産業として成長し続けたのは、平成時代だったはずだ。それ以前に「宇宙戦艦ヤマト」という前例はあって、「新世紀エヴァンゲリオン」という社会現象も続くものの、ガンダムがなければ、アニメが、これほどの産業として定着しなかったのかもしれない。
平成21年の夏に見たガンダムは、大仏のようだった。
それは、ガンダム30周年の企画としての実物大の像の降臨だった。そして、ガンダムは昭和から始まり、平成だけでなく、令和の今に至るまで、社会現象とか、経済効果とともに語られる作品だとしても、ここにいる人たちの、信仰に近い思いから始まっているし、だからこそ持続しているのではないか、とも思えた日だった。こうしたことを語る資格は、私にはないかもしれないが、それでも、そう思えたのは、本当だった。
そして、今の状況だと、どうなるか分からないが、今年、2020年は、横浜にまたガンダムが降臨するらしい。
この「とても個人的な平成史」シリーズについて
「昭和らしい」とか、古くさいという意味も含めて「昭和っぽい」みたいな言い方を聞いたことはありますが、「平成っぽい」や「平成らしさ」は、あまり聞いた事がないような気がします。
新しい元号が始まって、すぐに今の恐慌のような状態になってしまい、「平成らしさ」を振り返る前に、このまま、いろいろなことが消えていってしまうようにも思いました。
だから、家にいる時間が多い時に、個人的に「平成史」を少しずつでも、書いていこうと思いました。私自身の、とても小さく、消えてしまいそうな、ささいな出来事や思い出しか書けませんが、もし、他の方々の「平成史」も集まっていけば、その記憶の集積としての「平成の印象」が出来上がるのではないかと思います。
(参考資料)
さようなら実物大ガンダム、その軌跡とこれから
https://www.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/1703/06/news087.html
ガンダム、40年のヒットは努力の結晶だった
https://toyokeizai.net/articles/-/121912?page=2
意外と知らない! 日本の大仏ランキング
https://tg.tripadvisor.jp/news/ranking/bigbuddha_2015/
10月に設置のガンダム、横浜市集客に生かす
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54601070Q0A120C2L82000/
(他にもいろいろと書いています↓。もし、よろしかったら、クリックして読んでいただければ、うれしく思います)
とても個人的な平成史①「サンヨーの消滅」 充電電池は生き残った。
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