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プログラマーで新卒入社したのにグラフィックデザイナーを経てディレクターになった話

Twitterでゲーム業界志望の人を見ていると、Unityでゲーム作った方が良いのかプログラムを学んだ方が良いのか企画書を書いた方が良いのか悩んでいる方を見かけますが、ぶっちゃけて言えば「何をしてきたか」よりは「何ができそうか」が明確に分かる人が有利だと思います

こう言っては失礼なんですが、そもそも新卒入社の方に即戦力は求めません。求めるような会社ははっきり言って「相当ヤバいです」

会社にとって即戦力が必要と言う事は、会社に在籍しているスタッフに戦力が足りなくて、外注に頼む資金もなくて、賃金が安い新人を狙っているケースが多々あります

なので、そんな会社に入らないためには就活のために実績を積むよりは、「こんな事をしたいからUnityを勉強している」とか「こういう面白いゲームを遊んだから、ゲームバランスについて勉強している」とか現在進行形をアピールすると、「この人は伸びしろがありそうだ」なんて好印象になるかもしれません

さて、この記事の主旨から外れまくりましたが、僕は特に勉強はする事なく業界へ入る事ができました。

まぁ、「昔はこんなのでも大丈夫だったけど、今は違うよ…」と思う方が多いと思いますが、こんな紆余曲折を経た人生を歩んでいるおじさんもいますよって話です

学生の頃~就活

僕は学生の頃はゲームデザイナー(今で言うディレクターかな)志望で、ゲームのネタをノートに書いていたり、簡単なゲームを作っていたりしていました

業界の話なんてベーマガとかbeep等に書かれている事くらいしか情報が無くて、「まぁゲーム作りたいって気持ちがあれば何とかなるだろう」なんて軽い気持ちでいくつかの会社に応募したのですが、大手はほぼ全敗

ちなみに90年代前半、とだけお伝えしておきますw

「ほぼ」と言うのは、1社だけゲーム会社の内定を頂いたんですが、ゲーム関係じゃなくて事務系プログラマーだったんです

当時の就活と言えば、会社に電凸してアポ取って、会社説明会(会社によっては交通費も出ていた夢のような時代)行って、その場で面接とかそんなんだった記憶があります。

なので、企画書とかポートフォリオ提出も無くて、履歴書出して終わりだったかな?

そして、これからゲーム開発を始めようと言う中小企業A社から内定を頂き、大手でゲームとは無縁の仕事をするか、中小企業でゲームの仕事をするか、結構悩んだりしたんですが、大手を辞退してA社を選択させて頂きました

A社はゲームの下請け開発をしており、やがて自社開発をしたいと言う、当時は良く聞く話の会社です

入社後~ドッター修行へ

まず新人研修としてビジネスマナーの次にプログラム研修を受けました、そして二か月ぐらいたった頃だったと思うんですが、自社開発ゲームのアイデア募集社内告知のポスターを描く仕事がまわってきたんです、社内にデザイナーはいないので新人に何かやらせておけって感じだったと思います

まぁ社内向けなんで、さらさらっと絵を描いて社内に貼ったんですが、その絵が上司にウケが良かったみたいで、とある日「ゲームで絵を描く仕事やってみない?」と言われたのです

いや、絵を描くって言っても、やってみたい気はするけど素人ができるものなの?と思ったのですが、「B社で適性があるか見てくれるらしいので、ちょっと修行に行ってきてよ」と言われました

言われるがままにB社に赴くと、適性があるかどうか見てくれるのは何と社長さんでした、美術を学んでいた方らしいです

まず行ったのは、石膏像を見ながらドット絵を描く練習

PCエンジン用のツールだったので、16色で128x128くらいだったと思います

そこでデッサン力とか色の付け方とか2週間程度教えてもらい、最後の日に「まぁ上手くは無いけど何とかデザイナーとしていけるんじゃない?」とお墨付きをもらいました

さて、適性がある事を認められたわけですが、今度はパブリッシャーがグラフィックデザイナーとして僕にお金を払うに値するかどうかの見極めが待っていました

C社からゲームの開発依頼があり、僕をデザイナーとしてアサインさせたい考えだったそうです

ただ、業務経験無しの素人なので、2週間C社へ修行に出されました

そこではパレットの使い方、影の付け方等具体的なアドバイスを受けつつ2週間が経過し、最終判断としては「まぁ何とかできるんじゃない?」というお墨付きをもらい、晴れてグラフィックデザイナーとして参加させて頂く事になりました

転職、プランナー作業をちらほら

あこがれのゲーム開発作業につけて、「よっしゃ、頑張るぞ!」と思ったのもつかの間、A社はゲーム開発から撤退する事となってしまいました

理由は残業代が高くなるから、と上司からお聞きしました。今でも変わらないかもしれませんが、当時は大雑把なスケジュールしか提示されず、後は気合で物量をこなす感じの作業です

当然深夜業務も発生しますし、みなし残業なんて制度は無い時代ですので、働いた分だけ残業代がもらえるウハウハな時代でした

残業代をパブリッシャーに残業代を請求できるわけもなく、そもそも本業は普通のIT企業だったので、その判断は正しかったと思います

そこで僕は、普通のプログラマーに戻るように社命を受けたのですが、ゲーム開発の楽しさを知った僕は戻る気は全然無く退社、別会社へ移籍しました。

ここから2Dデザイナーとして数年が経過、色々な縁があり、D社の方にお声がけを頂き移籍する事となりました。

そこではスーパーファミコン用ソフトの開発が始まります…が、参加スタッフがディレクター&プランナー1人、プログラマー1人、デザイナー2人と言う陣容のため、「こことここのシナリオとスクリプト、あとアイテムの名前とか性能も考えてくれない?」と無茶ぶり

もうドッターとしては十分に経験を積んだ自負はありますが、お話なんて作った事ないしアイテムの名前とかバランスと言われてもなぁ…とてんやわんやでしたが、まぁ何とかやりとげました

だって、やるしか無いですからね!

3Dツールの研修

そして、次の開発は3D、E社が開発している大型RPGですが、社内に3Dツールの使える人なんていない状態だったのですが、「E社で3Dツールの研修があるからデザイナー全員行ってきて」とのお達し

またもや2週間程出向し、ツールの使い方とかポリゴン数を節約する方法とか色々教わりました

デザイナーは2Dで描く事に慣れているので、ビューワーでくるくる回転させながら作る事に手こずった人も多かったです

人生の分岐点、デザイナーかプランナーか

次はパーティゲームを作る事になりました

パーティゲームと言えばミニゲーム、ミニゲームは結構数があるので社内のプランナーでは手が回らないと言う事で「プランナーやってみない?」とのお達しが

今にして思えば、ここが人生の分岐点です

ここでプランナーを選択した事で仕事の仕方ががらっと変わりました

「絵を描く事」では無く、「考える事」を仕事に求められました

右脳を積極的に使ってきたのに左脳を要求される感じ、なかなか伝わらないと思いますが、これ結構大変なんです

今までのキャリアが通じない世界に放り込まれた感じ

大変でしたが、何とかやりました

何だかんだ言って、プランナーの仕事はやりたかったし、ここがチャンスなのかなと思って

色々迷惑をかけつつも何とか開発終了

そしてディレクションへ

その後は某電子玩具ゲームのディレクションと言う話が来ました

ディレクションとプランナーは同じようなもんでしょ?と思っていたけどこれが大間違い

何が違うのかは長くなるのでここでは割愛しますが、簡単に言うと「ゲームを作る」と「ゲームの中の〇〇を作る」のは全くレベルが違うと言う事です

それからはディレクターだったりプランナーだったり、色々やってきました

20人程度のチームを管理したり、単なるデータ打ちとかスクリプターもやってきましたが、不思議と「この仕事無理!」ってのが無いので、適応力は高いのかもしれません(自画自賛)


改めて振り返ってみると、普通はお金を払って教えてもらうべき事を仕事でアサインされてきたので、ものすごい強運なのかもしれません

10年ほど前のソシャゲ黎明期の頃にもソシャゲのディレクターをアサインされたし…まぁあれは1年持たずにサービス終了になりましたけど、スタンドアローン型のゲームしか知らなかった僕は良い勉強になりました


これまで色んな職種やハードを見てきましたが、今後も進化や変化ばかりの業界なんだろうし、どんな仕事があるのか楽しみです


最後に、業界志望の学生の方に言いたいのは、今は情報過多で何をしたらよいか悩んでいると思いますが、情報は情報として知っておくだけにして、自分の好きな事・向いている事をするのが良いと思います

面接官毎に合否のポイントは違うと思いますが、全てにおいて平均な人間よりは何か突出している人の方が記憶に残ると思います

そして記憶に残る人の方が、有利なんじゃないかと思います


何かまとまりませんが、このあたりで

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