90年代のゲーム開発ってこんな感じでした
90年代のゲームハードと言えば、ファミコン、PCエンジン、メガドライブ、スーファミ等、今やレトロゲームのカテゴリに位置付けされるものです。
この中で僕が開発経験があるのはPCエンジンとスーパーファミコンです。この辺りの話を書いてみます。
PCエンジンの話
90年代前半と言えば、インターネットがまだ無い時代の話です。当時僕はデザイナー(ドッター)でした。
当時はPC-9801と言うパソコンで開発していました。OSはMS-DOSでWindowsで言うコマンドプロンプトでのみ制御するハードです。
グラフィックツールはハドソン社製のキャラクター作成用の「CE」とイベントシーン作成用の「PE」を使っていました。ググッても画像がヒットしないので説明し難いのですが、右クリックで色のスポイトをして左クリックで色を置く操作だったので、現在のドット絵ツールの元祖的なものかと思います。
PCエンジンの表示スペックは、512色中16色の16パレットです。ちなみにPC-9801の表示スペックは16色表示。
PC-9801のモニター上では、選択したパレットを使用しているチップだけ正しい色で表示されていますが、それ以外は色が正しくありません。
正しい画像を確認方法は、PC-9801に開発機(下画像)を接続し、開発機からTVへケーブルを繋げ、TVを見て確認です
このパレットと開発機の関係について簡単に説明するのは難しいんですが…まず、地面に木と太陽がある、下のような画像を作成するとしましょう
単色で簡略化して書いてますが、1ドットを1チップ(8x8)と思って下さい。上画像では5色使っていますが、それぞれグラデーションを持つので計5つ分のパレット設定が必要です。1パレット16色使える設定ですが、圧縮効率を出すために8色制限の場合が多かったです。とは言うものの、0番は透明色と言う制限もあったので実質7色でした。パレット構成は下図のような感じですね。
そしてPC-9801のツール上ででチップ毎にここは1番パレット、ここは2番パレットと設定をしていきます。PC-9801は1つのパレットしか表示できないので、ほとんどの箇所は正しくない色が表示されます(下図)
なのでPC-9801で設定をして、TVで正しいか確認をすると言う作業なんですが、デザイナーの前にはPC-9801とTVが並べられており、右を見たり左を見たりと言う作業を強いられます
例はシンプルな絵にしていますが、キャラが複数人いたり色んな色が使われる絵だとパレットの数も増えますし、パレットとパレットの間を持つパレットを作る必要もあったりで結構大変でしたね…
データは「手渡し」
LANケーブルすら無い時代ですから手渡しが基本です。3.5インチフロッピーディスクにデータを保存してプログラマーさんへ渡していました。ハードディスクも高価な時代でしたから基本はフロッピーディスクでの保存が主となります。
そしてプログラマーさんはデータやらプログラムやら集めてをビルドしてCD-ROMに焼きます。このCDに焼く機材が当時1,000万円するとか聞いてまして、壊したらとんでもないと思い近づく事すら怖かったですw
確かビルドの時間は数時間、CDを焼くのは当時は等倍書き込みだったので1時間はかかっていたと記憶しています。
スーパーファミコンの話
90年代半ばで、まだインターネットは登場していませんが世の中の技術の進歩は進んでおり、様々な技術革新が起こっていました。
まず、PCは256色表示のFM-TOWNSとなり、PCモニターとTVを見比べる必要が無くなった事。
ROMを「焼く」
テストプレイは、初期の頃はROMライターを使ってプログラム(ROMイメージ)をROMに焼き、開発用の基板むき出しのカセットに刺していました
焼き時間は20分前後だったかな?テストプレイはスタッフ数人で行うため、20分xスタッフ数分かかります。プログラムが更新された場合、まずROMに書かれた前回のプログラムを消す必要があります。消すためにはROMイレーサーと言う紫外線を出す機械の中にROMを入れ、これも20分くらいかかった記憶しています。
ただ、ROM焼きは1つずつ行っていましたが、消すのは複数のROMを機械に入れる事ができたので焼くのと消す時間は全然違いました。
テストプレイはマジコンで
後期のテストプレイは、マジコンを使っていました。マジコンとはソフトのROMイメージをフロッピーディスクに吸い出してROMが無くても遊べる法的にはグレーな機材なのですが、プログラマーさんが作成したROMイメージをフロッピーディスクにコピーしてテストプレイをしていました。
セーブデータもフロッピーディスクに保存されますから、何か不具合が出た時はフロッピーディスクの中のセーブデータをチェックしてもらってました。
当時はデバッグ会社は(多分)存在していなかったので、基本的にスタッフがチェックしていました。
なので、自分が担当した以外の部分もチェックしていましたし、早くチェックをするためには色んな仕様を知る必要があるため、ゲーム全体に対するスタッフの理解度や関心は高かったような気がします。
と言う訳で、こういうレトロゲームの開発についての記事を見かけないので書いてみました。断片的ですが、当時の雰囲気とか想像してもらえたら嬉しいです。