【連載】黒煙のコピアガンナー 第三十六話 後編 キャシー・ベリー作戦⑥
[第三十六話 後編]キャシー・ベリー作戦⑥
ジェシーは気が付くとバックヤードの階段の踊り場に座り込んでいた。
「おい! 大丈夫か! ジェシー!!」
目の前には警備員の制服を着たコーディがいた。
柔らかい指先がジェシーの手首に当てられる。脈を測っていたのはパリスだ。
「ジェシーさん、気が付いたんですね。まだ動かないで」
頭がガンガンと痛んだ。思い出せる限りのことを思い出そうとする。黒マントの男は洗練された動きでジェシーを翻弄し、攻撃はほとんどかわされた。おそらくあれは軍隊仕込みの格闘術だ。殺人に特化して組織的に組み上げられた職業軍人の動き。
「あっ、あれは……!?」
ジェシーは真っ青な顔をして後頭部に手をやった。ボサボサになった髪をどれだけかきむしってもそれは出て来なかった。
「髪飾りがない!」
ジェシーにとってそれは敗北よりも精神的な苦痛をもたらした。祖母の代から大事にしていた髪飾りはジェシーの精神的な支柱であったから。
ジェシーはもうダメだと絶望した。何をやってもうまくいかない。これ以上はもう何もできる気がしない。
「ありますよ」
優しい声がジェシーに希望の光をもたらした。パリスがポケットから何かを取り出す。手のひらにはピンクの花の髪飾りが握られていた。
「大広間周辺の廊下に落ちていました。気になって見に行ってよかったです」
「パリス……! ありがとう……!」
ジェシーはパリスに抱き着いた。パリスはとても温かかった。小さな手がジェシーの頭を撫でてくれる。
「さあ、ここを出ますよ。裏でカズラさんがお待ちです。コーディさんがそこまで運んでくれます」
コーディが背中を向けてしゃがんでいる。ジェシーが体勢を変え、コーディの背中に乗る。ビリビリに破けたドレスが足に引っ掛かりさらに破けた。
「ドレス……」
ジェシーがつぶやくとパリスが笑った。
「ふふ、ここに来る前にソウヤさんが言ってましたよ。もしドレスがダメになったらまた作ってくれるって」
「いいよ、別に……」
コーディが動き出す。ジェシーはパリスがついてこないので不安になって後ろを振り返る。
「私はコーディさんがジェシーさんを無事に裏口に逃がすまでの陽動係です。周辺の人払いをします」
パリスの目は頼もしかった。ジェシーはパリスの心配をするのは彼女にとって失礼なのだと再度認識する。
「ありがとう。無事を祈る」
パリスはニッコリ笑った。
「よし、行くぞ」
コーディが階段を下りていく。パリスはバックヤードから客室の廊下へと戻って行った。ジェシーは全身の倦怠感に抗う気力を失い、眠りについた。
* * *
救急車騒ぎになったホテルのエントランスは野次馬のホテル客などでごった返していた。
アンドリューはアマンダが重傷だという報せを受けてパーティを抜け出してエントランスへ来た。
「何だこの人だかりは!」
不安げにひそひそと話をしながら辺りを窺っている野次馬連中は、バックヤードの扉が開いて血塗れになったアマンダを抱えたピートが出てくると、一斉にスマートフォンで撮影を始めようとした。
「ここでの撮影はおやめください!」
「通してください! 急患です!」
警備員と救急隊員が撮影をやめさせ野次馬連中を追い払う。
アンドリューは人混みをかき分けてピートのそばへ向かう。
「ピート! アマンダの様子は?」
「アンドリューさん!」
救急隊員の担架が到着した。ピートはアマンダを静かに担架へ寝かしてアンドリューに話した。
「吐いたのと、出血と、あとはわかりません。全部ヤバいと思います」
「よくやった、ピート」
アンドリューはピートをぎゅっと抱きしめた。予想外の展開にピートは困惑する。アンドリューは自身の部下が警備中に大怪我をするという一大事を殊更に重大事と受け止めていたのだった。
「発見が遅れたら死んでいたかもしれない。ありがとう、ピート。ありがとう」
ピートはアンドリューが末端の護衛にまで心を砕いてくれるなどとは思いも寄らなかったので、アンドリューの行動全てに気味悪さを感じた。何をすればいいのかわからないし、気持ち悪いのでハグしないでくださいとも言えず、ただされるがままに抱きしめられていた。
救急隊員がアンドリューとピートに話しかけたそうにしているのに気付いたアンドリューはピートの背中をバシバシと二回叩いてからピートを解放した。
「搬送しますが同行者は必要ですか?」
「ピート、君がついてあげなさい」
「了解っす」
ピートは救急隊員によって救急車に案内される。
アンドリューは扉が閉まる直前、ピートが寝ているアマンダの手を握るところまでを見届けた。
「落ち着け……」
アンドリューはそう自分に言い聞かせた。選挙応援パーティは支援者達のスピーチが行われている最中だ。それが終わったら最後に自分の番が来る。気持ちを落ち着かせて、何事もなかったかのように檀上で笑顔を振りまく気力はもう尽きていた。
そこへ、見慣れた大きな背中が足早に通り過ぎて行った。アンドリューはその背中を追いかけた。
「ソウヤさん!」
振り向いた大きな背中は真冬だというのに汗をかいていた。
「アンドリュー! すまない、私はここでお暇せねばならん」
「どうしたんですか? 僕のスピーチがまだなのに」
「ああ、すまない。屋敷で問題が発生したとメイドから連絡があった。帰って早急に対処せねば」
「そうでしたか。では、タクシーを呼びましょう」
「ああ、いい、いい。もう迎えを寄越してある。アンドリュー、君はスピーチに集中したまえ」
ソウヤの様子はいつもよりも焦っていた。アンドリューは余程の緊急事態なのだと察して身を引いた。
「わかりました。お気を付けてお帰りください」
「すまないな」
「コガ夫妻について何かわかった事があれば僕に教えてください。お願いします」
「もちろんだ。では、失礼」
ソウヤは大股歩きでホテルから出て行った。すぐに黒塗りの高級車がソウヤを乗せて走り出す。慌ただしい一日だった。アンドリューは妙な緊張感と焦燥感を抱えたまま選挙応援パーティの会場へと戻っていった。