【連載】黒煙のコピアガンナー 第二十七話 前編 動き出す時間
[第二十七話 前編]動き出す時間
カズラは誰もいない部屋で何度目かの朝を迎えた。朝日がカズラのいるリビングルームを照らし、少しずつ部屋を明るくした。
家財道具は一式全て部屋に残っている。仕事へ行く時の服装と荷物でアオイとスバルは出かけ、そのまま帰らなかったということだ。どうして何も言わずに出て行ったのか、カズラには皆目見当もつかなかった。
リビングルームの真ん中で膝を抱えて座り、いつの間にかそのまま眠ってしまっていた。寒くて寂しくてどうしようもなかった。こんな孤独感は初めてだ。人生で辛い時、カズラのそばにはアオイがいてくれた。
カズラは立ち上がった。革ジャンを着て部屋を出る。北側に面したドアの向こうはまだ暗かった。アパートを出て駐輪場へ向かう。埃をかぶったバイクのカバーを外す。半年間誰も乗らなかったバイクはピカピカだった。これもレンの形見の1つだ。
カズラはガソリンが入っていることを確認してバイクに乗った。すぐにエンジンが着く。バイクが走り出すと、カズラは振り返らずにある場所へと向かった。
* * *
アトラスは自分のベッドで気持ちのいい朝を迎えた。こんなことはギャングに入ってからほとんどないことだった。煤にまみれた武器庫で昼頃にのそのそと起き出すのが当たり前だったのに、今はベッドで眠らなければ気が済まないとさえ思っていた。
余裕を持って身支度をして、朝の散歩に出かけた。数日前まで襲撃の爪痕が残っていた町はほとんど片付いた。学校だけがギャング病院の代わりとして使われて、授業は再開されていない。少ない人数で町の機能を回復できたのはアマンダ特別部隊が率先して動いてくれたからだった。
宿舎の食堂も綺麗に片付けられて今朝から食事の提供が再開される。アトラスはまだ時間が早いとわかっていたが、食堂への道に吸い寄せられていた。
「おはようございます、アトラスさん」
ふいに声をかけられた。アトラスはドキッとして声のした方に向く。
「ドロシー……」
アトラスは自分の変化に気付いていた。人の気配を察知する能力が著しく低下している。以前ならドロシーがこちらに気付く前に自分から挨拶していたはずだ。
「今朝は早いんですね」
「そうなんだよ。最近体の調子がよくて」
「いいことじゃないですか。お酒をやめたのが効いているのかしらね」
「そうかもしれないね! うん……そうかも」
アトラスは心がざわついていた。何故だか落ち着かない。いつもと違う。どうしてしまったのだろうか。ドロシーの心の流れが読めない。多分それだ。きっとそう。今までならドロシーの気持ちの変化もジェシーの気持ちと同じようにある程度感じ取ることができたはずだ。わかりすぎてしまうのが嫌で酒を飲んで誤魔化して、やっと会話ができるようにまでしていたんだ。だけど、今は何も感じることができない。それはなんだか心許ないけれど、何故だか幸せなようにも感じられた。
「あ、あのさ、ドロシー……」
「何ですか?」
「今日のお昼なんだけど……」
「はい、皆さんの分は袋に入れて取っておきますよ」
「ありがとう……」
2人は食堂の玄関まで来ていた。
「それじゃ、アトラスさん。朝の散歩楽しんできてくださいね。でも体が弱いんですから、無理はなさらず」
「うん……そうするよ」
「ふふふ。それじゃ、また」
ドロシーはアトラスに笑いかけて、食堂の中へと消えていった。アトラスはしばらく食堂の玄関を眺めていた。
「はあ……」
とても不思議な感覚だった。孤独なようにも思えて、だからこそ人とのつながりを感じられる。ドロシーがかけてくれる言葉の1つ1つがドロシーの気持ちを知るための大事な要因になってくる。これが普通なのならば、今までの自分は何だったのだろう。想像してみるだけで恐ろしくて、気味が悪かった。
* * *
ライカ先生から精神的に安定したことが認められたジェシーは数日振りに自分の部屋で眠った。狭い部屋の本棚に入りきらなかった本が床に高く積まれ、机の上には開いたままの本が何冊も置かれている。
ジェシーは朝、目が覚めるとおもむろにベッドに近い本棚に大切にしまわれた児童書を引っ張り出す。『深緑のフラヴォートル』という題名のその本は昔アトラスがジェシーにあげた本だった。
表紙には長い金髪をした二体の神様が描かれている。男の姿をした軍神と女の姿をした豊穣の女神だ。フラヴォートルという名前はこの二体の両方を指す。元々この神様は両性具有の二神一体の神様だったと考古学者の間では有名だった。
その児童書はイグニス大陸北部の寒冷地の針葉樹林の森の奥深くで生きたフラヴィナ族という先住民の神話で、ジェシーはフラヴィナ族の血を引いていた。
部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。
「はい」
「アトラスだよ。入っていいかな?」
「アトラス兄さん。いいよ」
アトラスはニコニコしながら入ってきた。憔悴し切っていたジェシーを気遣って数日顔を見せなかったのが嘘みたいに、当たり前の笑顔がそこにあった。
「今ね、アトラス兄さんがくれた本読んでたんだよ」
「うわ、懐かしい。ジェシー、それお気に入りだったよね」
「うん。いつでも読めるようにベッドに一番近い所にしまってるんだ。でも、ここ数年は読んでなかった」
ジェシーはペラペラとページをめくる。ポニーテールを振り上げて戦へ向かう軍神のフラヴォートルの挿絵のページで止まる。
「ねえ、アトラス兄さん。どうしてフラヴィナ族は最高神を二神一体にしたんだと思う?」
「ええ? 何でだろう……」
アトラスは深く考え込んだ。
「僕は1人でもフラヴォートルみたいになりたかった。でも足りなかったんだと思う。僕だけでは欠けているものがあって、その隙を突かれたのが今回の結果だ」
「これは君だけのせいで起きた事態じゃないよ」
「アマンダは今頃1人でどうしているんだろう」
ジェシーはページをめくって美しく長いストレートヘアの豊穣の女神が動物達に生きる糧を与えている挿絵のページを開いた。
「兄さん、昔言ってたよね。僕がアマンダと似ているのが嫌だって言った時、僕らは同じフラヴィナ族の末裔だから似ていて当然だって」
アトラスはジェシーの肩を叩いた。
「アマンダのことは何とかする。心配いらないよ」
アトラスは励まそうとしていつもより力強く言ったつもりだった。ジェシーはどことなくその頼もしさに違和感を覚えた。この人は僕の知っているアトラス兄さんなのか? 信頼はしていたけど、この感じはどういうわけか、違うもののように感じた。
* * *
ジェシーはその日から復興を手伝い始めた。腕の傷はもう治ったようなものだった。力仕事はコーディから止められたが、それ以外のことならできる。左足を失って事務仕事を任されているローディと一緒に学校の教室で避難民への対応を任された。
ジェシーは教室を3部屋確保して負傷者向けの簡単な診察ができる場所を作った。重傷者だった人も回復してきたら負傷者向けの診察を受けられる。定期的に傷を診て、患者と会話をすることで心身のケアをすることを目的としていた。ジェシーも他人の世話を焼いている方が気持ちが楽になるのでその方がよかった。
ジェシーは診察に来た人を見て目を丸くした。
「ビアンカじゃないか」
看護助手の手伝いに来ていたニッキーもその声を聞いて顔を出した。
「アンタ、生きてたの」
ビアンカはニッキーを一瞥してすぐ目をジェシーに戻した。
「お腹が張るの。見てもらえますか? ジェシー兄さん」
ジェシーはすぐにライカ先生の診察室になっている教室を案内した。
「ちょっと待って。何でアンタ、ライカ先生なのよ?」
ニッキーがケンカ腰に近づいてきた。ジェシーは焦って2人の間に割り込もうとするが、ニッキーの方が早かった。
「妊娠してるの。だからライカ先生しか診られる人がいないのよ」
「妊娠……?」
ニッキーはビアンカのお腹が膨らみ始めているのを見て、続けた。
「誰の子なの?」
「トーマス・ガルド」
「本当に言ってるの……!?」
「やめろ、ニッキー!」
ジェシーはニッキーをビアンカから遠ざけた。
「トーマスって、アマンダがアンタを守るために殺した男の従弟じゃないのよ!」
「だったら何なの? いいじゃないのよ、私の勝手でしょ」
「ふざけてんじゃないわよ、アンタ!」
「ニッキー!! 子供に罪はない! やめろ!!」
珍しくジェシーに凄まれてニッキーは怒りを収めた。
「アマンダが……アンタのせいでどんな思いで生きてきたか……わかっててやってるんなら……私は一生アンタを軽蔑する」
ニッキーは白衣代わりに巻いていたタオルを外して教室を出て行った。
「ニッキー! どこに行く!?」
「ちょっと外の空気吸ってきます。仕事放り出してすみません」
ニッキーの剣幕にジェシーはそれ以上何も言えなかった。ビアンカも意地っ張りだ。ジェシーが席に戻った時にはライカ先生の診察室に移動していた。
* * *
アトラス、ジェシー、コーディ、ジョン、ニッキー、パリスの6人は昼休みに皆で昼食を食べる。こんな時だからこそ食事の時間を1日に1回くらいは揃えようと相談してのことだった。ドロシーが6人分のパンと非常食の缶を袋に分けてくれているので、それを学校の校庭で食べるだけの昼食が今はかけがえのない時間だった。
ニッキーはまだビアンカのことでイライラしているようだった。パリスが察してニッキーに話しかける。
「何かあったの?」
ニッキーは無言でジェシーを睨みつける。
「な、何だよ……」
ジェシーはニッキーが敵意をむき出しにするので何も言えない。
「ジェシーさん、ビアンカが妊娠してるの知ってましたね?」
「当たり前だろ。ギャング病院に検診に来るんだから」
「あの様子だと5ヶ月くらいじゃないんですか?」
「そうだな」
「それって……」
ニッキーは怒りの余りすぐに言葉にできない。
「アマンダがギャングに入るために家を出てすぐじゃないんですか……?」
ジェシーはニッキーの言おうとしていることをわかっていた。
「ビアンカはアマンダが出て行ったらすぐ外に出るようになったよ。男遊びも結構してた」
「アイツ……本当に何のつもりなのよ……」
「こればかりはビアンカの気持ちの問題だ。僕達が止めてどうなることじゃない」
「わかりますけど……私は……心底嫌いですよ。あの女が」
ジェシーもそれには反論できなかった。ビアンカの身勝手な性格は今に始まったことではない。大人しそうに見えてあの子は結構ズルをする子だった。見るからにお転婆なアマンダの陰に隠れて色々やらかしているのをジェシーは兄の立場からこっそり見ていた。
「ニッキー、ビアンカのことは許せなくてもいい。血の繋がった僕達でさえビアンカの行動は理解できない。僕らにできるのはせいぜいアマンダにそれを知らせずにいることだけだった。君には伝えておくべきだったかもしれない」
アトラスがジェシーに代わってニッキーを諫めた。ニッキーはアトラスに言われると納得するのだった。それは幹部としての技量の差なのか、アトラスの人柄によるものなのかわからず、ジェシーは少し嫉妬した。
「おい、ジェシー。それ、食えるようになったのか?」
自分の分を食べ終わってまったりしていたコーディがジェシーの持っている缶を指さす。 ジェシーは缶の中に入っている緑色の丸い粒を見てギョッとした。
「あ、これ……グリーンピースじゃん……」
ジェシーはグリーンピースを食わず嫌いしていた。それなのに、もう半分くらいを食べてしまっていた。ジェシーはグリーンピースへの嫌悪感がなくなっている自分に気付いた。
「こんな味だったんだ……」
「うおおおおおお!!」
コーディが立ち上がって飛び跳ねた。
「ジェシーが嫌いな食べ物を克服したぞ!!」
「コーディ兄さん、うるさい」
大きい声で言われると恥ずかしくてたまらなかった。ジェシーは残りのグリーンピースを平らげすぐさまその場を離れた。
ジェシーも自分の変化に気付いていた。初めは動揺して動けなくなりそうだったが、日を重ねるごとにそれも落ち着いてきていた。起きてしまったことは仕方がないと受け入れることができたのはパリスがそばにいてくれたおかげだった。しかし、食わず嫌いしていた食べ物を克服するとまでは思わなかった。自分が変化していくことが何故だか無性に恥ずかしくて、自分で自分を見ていられなかった。