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【連載】黒煙のコピアガンナー 第三十四話 後編 潜入準備

[第三十四話 後編]潜入準備


 時間は午後4時を回ったところだった。

 アンドリュー・イーデルステインの選挙応援パーティの日だ。

 昼過ぎにソウヤの邸宅へと集合したカズラ、アトラス、ニッキー、パリス、ジョンはジェシーの支度を待ちながら段取りの調整に入った。

 カズラがクッキーを摘まみながら話を始める。

「まずは配置からだ。コーディは午後のシフトで現地入りをしている。パーティ会場の警備そのものはアンドリュー・イーデルステインが手配した警備会社に委託しているらしく、コーディはパーティ会場に入れないそうだ。おまけにジョンは運悪く今夜のシフトにすら入れなかったから、会場内でジェシーの手助けをできる人間はいない」

 それを聞いたニッキーはもどかしげに眉をひそめる。

「なかなか厳しい状況ですね。パリスさんは何時からのシフトなんですか?」

「私は午後6時から。でも、パーティ会場に清掃員が入るのはパーティが終わってゲストが全員いなくなってからみたい。周辺のトイレの清掃や厨房で出たゴミを外に出しに行くのがメインになりそうだって先輩が言ってたのを聞いたわ」

「そうなんですか」

 ため息をつくニッキー。カズラは話を続ける。

「本当なら無線で話しながら連携を取りたいところだが、ホテルの警備の都合上、金属製の物は持ち込めない。ジェシーとソウヤおじさんが現地入りしたら、誰も手出しができないってわけだ」

「私ができることはないんですか?」

 ニッキーはヤキモキしている。自分が何でもやってやろうという気概のあるニッキーにとって、今の状況は非常にストレスらしい。

 コーディ、ジョン、パリスはパーティ会場に入ることはできなくても、バックヤードも含めたホテル内の地図を作成して脱出経路を探すことに貢献した。だが、素性を隠して生活費を稼いでいただけのニッキーはまだ自分が何もやれていないと感じていた。

「ニッキーはジョンと向かいの建物の屋上でホテル内の様子を見ていてほしい。ジョン、あれは持ってきたか?」

「もちろんっす」

 ジョンがテーブルの下に置いていた大きなケースを見せる。

「それって……!」

 ジョンがケースの鍵を開けて中身を見せる。ローレンスのスナイパーライフルが入っていた。

「俺はこれで万が一の時のジェシー兄さんのアシストができます」

 部屋の扉が開いてメイドが入ってきた。大きな箱を携えている。

「ありがとね」

 カズラはそれが何の箱なのか知っているらしかった。メイド達は箱を開けてスナイパーライフルにカチャカチャと取り付ける。

「おじさんに頼んでスナイパーライフルに取り付ける夜用の装備を一式揃えてもらった。ニッキーにも持っていてもらいたいものがあるぞ」

 メイドはニッキーに重苦しい黒い物を渡した。

「暗視スコープだ」

「え、じゃあ私……」

「それでジョンのアシストをしてくれ」

「ここまでするほどなの……!?」

「リヴォルタのCOOが主催のパーティにバークヒルズの幹部が潜り込むんだぞ。最悪、射殺も考えられる。ジェシーの身に危険が及んだら壁でも窓でもいいから撃ってくれ。狙撃でパニックが起きたら、騒ぎに乗じて逃げればいい」

「そ、そうならない事を祈ります」

 ニッキーは恐る恐るジョンの顔をうかがうが、ジョンは嬉しそうな表情をしていた。久しぶりにローレンスのスナイパーライフルを持ち出せることになって興奮しているようだった。

「それで、僕はどうするの?」

 アトラスは自分だけまだ何も言われていないのでそわそわしていた。

「アトラスと私は周辺に車を停めて待機だ。万が一の時の脱出時には私がジェシーを乗せて全速力で逃げる」

「なるほど」

「新しい携帯電話をニッキーに持たせるから、それでやり取りをしよう。アトラスは私の携帯電話を使ってくれ。ジョンとニッキーが狙撃ポイントから見た会場の様子を私達に報告する。怪しい動きが見られたら私は脱出経路のピックアップポイントまで車を走らせる」

「それがこの条件下で出せる最善策ってわけだね」

「そういうこと」

 情報を整理するとこうだ。

 ソウヤはゲストとして普通にホテルのエントランスからパーティ会場に入る。その際、女装したジェシーを同伴者として紹介する。コーディとパリスは警備員と清掃員の仕事をしながらパーティ会場周辺を巡回し、必要があればジェシーの手助けをする。

 ジョンとニッキーは向かい側の建物の屋上からパーティ会場の様子を観察する。会場内の状況をカズラとアトラスに伝えるのが主な役目だが、万が一の場合にはスナイパーライフルで威嚇射撃を行い、ジェシーの脱出の機会を作る。

 カズラとアトラスは周辺道路で車で待機。ジェシーが脱出する時は急行し、ジェシーを拾って全速力で逃走する。

 会場に残ったソウヤはジェシーがスパイだとは知らなかったとアンドリュー・イーデルステインに伝え、自分は潔白だと主張する。アンドリューとソウヤは昔馴染みなのでアンドリューも厳しい目は向けないだろうと予想される。

「お嬢様、ジェシー様の支度が出来上がりました」

 危険な任務の全貌が明らかになり重たい空気が流れる中、朗らかなメイドの声が部屋に響いた。その声で全員の気持ちが少し軽くなる。

「ジェシーさん、どんな感じに仕上がったのかな」

「気になるね、早く行こう」

 ニッキーとパリスが真っ先にメイドについてジェシーが待つ部屋へと向かった。カズラ、アトラス、ジョンも重い腰を上げて後ろをついていく。

 メイド2人がかりで部屋の重い扉が開かれる。ニッキーとパリスにとっては2回目だが、アトラスにとっては初めてきちんとした形でのご対面だった。期待と不安の入り混じった空気が部屋の扉の隙間からどっと吹き込んできた。

 ほんのりしたピンク色のドレスに身を包んだジェシーはカズラ達一行に背を向けた状態で姿鏡の前で動かずにいた。

「桜色のドレスか。おじさん、やるなあ」

 カズラが嬉しそうにソウヤを呼びに廊下を走り去った。

 ジェシーは何を考えているのか、微動だにせず自分の女装姿を眺めていた。

 ニッキーがゆっくりと近づいて、ジェシーの斜め後ろに立つ。鏡越しに、化粧をして華やかさが増した美しさとは対照的な物憂げなジェシーの青い瞳を見つめる。

「ハンナさんにそっくりですね」

「うん……」

 ジェシーは小さく頷いた。

 いつもピンク色のワンピースを着ていたジェシーの姉ハンナ。こうしてジェシーに最も似合うデザインのドレスを身に着け、髪をセットして化粧をすると、ジェシーはハンナとそっくりの見た目になるのだった。

「ハンナさん?」

 パリスが馴染みのない名前に反応する。パリスはハンナが生きていた頃は交流がなかったので存在すら知らなかった。

「ジェシーさんのお姉さんです。私も実の妹みたいにかわいがってもらったわ」

「お姉さん……そういえば、昔ジェシーさんから聞いたことがありましたね」

「ああ」

 ジェシーは生返事をしてスタスタとソファに歩いていった。そして、自分のカバンからピンク色の花の髪飾りを出す。

「ニッキー、これつけてくれないか?」

「これって……」

 ニッキーの目から思わず涙が一粒ポロっと流れた。

「そっか。ジェシーさんが持っててくれたんですね」

 それはジェシーの祖母の代から伝わるローズ家の家宝の花の髪飾りだった。

「お葬式の後、一度も見かけなかったから、事故で壊れてしまったんだと思ってました」

「ハンナが死に際にこれを僕に託したんだ」

「そうだったんですね。よかった……」

 ニッキーは涙を拭って続ける。

「そんな大事なものを危ない場所につけていくんですか?」

「だからこそだ」

「ジェシーさん……」

 ジェシーの決意はニッキーにも伝わったようだった。

「わかりました。そこに座ってください」

 ジェシーは鏡の前にイスを置いて座った。ニッキーは綺麗にセットされた髪型を崩さないよう一番目立つところに花の髪飾りをつけた。

「似合ってますよ。ジェシーさん。嫉妬するくらい綺麗です」

 ニッキーはジェシーにそう言った。

「あぁ、これが……」

「どうかしたんですか? パリスさん」

 パリスはジェシーの髪に取り付けられたピンク色の花の髪飾りを見て、ピンと来ていた。バークヒルズを出発する朝、カズラのカバンに荷物を入れ替える時に医療器具と一緒に出てきたピンク色の何かはこれだったのだ。

「何でもない。そんな大事な物を肌身離さず持っていたなんて、ジェシーさんもかわいいところがあるんですね」

「や、やめろよ……恥ずかしい」

 ジェシーは照れ臭そうに顔を背ける。

「うん。2人の言う通り最高にかわいいよ、キャシー」

 アトラスの発言にジェシーは赤面する。

「ば、バカなの!? アトラス兄さん!!」

 ニッキーとパリスは何のことかわからずきょとんとしている。

「キャシーって何ですか?」

 パリスが聞き返す。

「ムフ、内緒」

 アトラスは笑っている。

「もう!! 出てってよ! アトラス兄さんは!!」

 ジェシーはアトラスを部屋から追い出そうとする。だが、ニッキーは何かを思いついたようで急に張り切りだした。

「ねえ! ジェシーさんの偽名はキャシーにしましょうよ! かわいい名前だし、ジェシーさんにピッタリ!」

「なるほど。アトラスさんはそれで女の子の名前でジェシーさんを呼んでみたんですね」

「そうそう! そういうこと! さすがパリス。わかってるね!」

「な、何言ってるんだよ、ニッキーもパリスも」

 状況が理解できていないジェシーだけは困惑していた。

「私達全員、アルバイト先では偽名で働いてるんですよ。さすがに本名はバレないとも限らないから」

 ニッキーが楽しそうに説明する。

「私がアレクサンドラ・ニクソン、パリスさんはクィニー・ブランド、コーディさんはカイン・コーディ、ジョンはジェームズ・ジョンソン、アトラスさんはアトラス・スコット」

「ちょっとずつ自分達の名前を文字ってるのに、パリスだけ何で全然違うんだ? というか、アトラス兄さん変わってないじゃん」

「僕はどうもアトラス以外で呼ばれると変な感じがして、ありきたりな名前だしそのままにしてもらったよ」

「私はクィニーっていう名前に憧れてたので……」

 アトラスの能天気さにジェシーは呆れたが、パリスの意外な一面にジェシーは好感が持てた。

「じゃあ、僕もキャシーでいいよ。苗字はどうする?」

 全員が沈黙する。

 パリスは何か部屋の中にヒントがないかとキョロキョロ辺りを見回す。女性らしさが引き立つような美しい響きの名前がいい。香水の容器が目に付く。キャシー・コロン。かわいくはあるがなんとなく語呂が好きではない。部屋に整然と置かれた高級な家具に使われている木材を取って、キャシー・マホガニー。なんだか重鎮っぽい。バークヒルズのギャングの幹部ではあるが、今はそれを主張する時ではない。

 パリスは壁にかかった絵画に目を奪われた。“春”と題された油絵の風景画は色とりどりの木の実がかわいらしく描かれていた。

「キャシー・ベリー……」

 パリスは声に出してつぶやいてみた。

「パリスさん、今なんて?」

「キャシー・ベリー。かわいいと思わない?」

「キャシー・ベリー!!」

 ニッキーが高い声で復唱する。

「かわいい!!」

「キャシー・ベリーか……」

 ジェシーも自分で発音してみて、まんざらでもない様子を見せた。

「じゃあ、これで決まりですね! キャシー・ベリーさん! 任務、よろしくお願いします!」

 ニッキーがアケボシ式に頭を下げる。ジェシーは優雅にイスを立って、会釈した。

「もちろんですわ。必ずアマンダを連れ戻して参ります」

「おお……!」

 まるで白黒映画のスター女優のような立ち居振る舞いに一同は感嘆の声を上げた。

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