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「沖縄へ行く」をもとめて沖縄への旅
① 旅の動機、そして出発
沖縄の離島を歩いてみたい。ずっとそう思っていました。
が、そのうちそのうちと考えているうちに、年月がながれてしまい、
離島は、すっかり遠い存在になっていました。
それが、
ある作家が書いた、一文に触れ、
「ああ、やっぱり行くしかない!」
と突き動かされることになったのでした。
与那国島についての記述です。こうありました。
「ひと昔前の与那国島の人は、本島の那覇へ行くことを『沖縄へ行く』と言った」
え? 沖縄へ行く? 与那国も沖縄にちがいない。なのに、沖縄へ行く?? とは。
与那国島は日本の最西端。沖縄本島の那覇までは500キロ以上あります。
が、お隣の台湾まではわずか100キロほど。お天気によっては海岸から島影がながめられます。それは「島」というより「大陸」に近く、存在感ある姿といいます。
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台湾が日本に統治されていた時代、与那国の人は就職や進学の際、本島の那覇よりも、台湾の台北へ渡ったといいます。台湾も与那国島も、歴史的に、ひとつの交流圏内だったわけです。
台湾が日本から切り離された戦後も、二島間では密貿易がおこなわれ、与那国はたいへん栄えたといいます。
そして、戦後の復興がすすむ中、遮断された台湾との関係。
ですので、
与那国の人が、地理的にも、気分的にも遠い本島の那覇へ向かう際には、後ろ髪を引かれる想いだったのでしょう。
大陸のように存在する台湾を背にして、
「沖縄へ行く」
そう口にしたというわけです。
島の人から、その台詞を聞いてみたい。
旅の動機です。
2022年12月。
ピーチエアラインで、石垣島へ飛びました。
そこからは、飛行機かフェリーになります。
初日は、石垣島泊。
② 2日目、足止めの火曜日
船着き場へ出向くと、与那国ゆきは「荒天のため欠航」とありました。
時化(しけ)も多く、欠航も日常だと聞いてはいましたが、さてどうしたものか、と待ち合いのベンチに座りこみました。
窓口の兄ちゃんがぷらっと出てきたので、
翌朝なら船は出ますか?
とたずねてみました。が、お天気しだいだね〜あしたにならないとわからないや〜とのこと。
彼は那覇の大学を出て、石垣島で働いているといいます。
たずねてみました。
石垣島の人は、沖縄へ行く、という言い方をするときがあるのですか?
変なこと聞くね〜みたいな顔をしてから、
「ないよ」
さらに、
那覇の学校へ行くのは、本土の人が東京の大学へ行くのとおなじ感覚ですよ、と。
石垣に延泊しました。
③ 3日目、与那国着の水曜日
プロペラ機で与那国へ飛びました。
島内は、無料の巡回バスが集落を結んで走っています。
久部良という集落へ。小さな集落です。郵便局と商店と民宿がちらほら。
が、港があります。カジキマグロが水揚げされる港です。競りもおこなわれます。
到着したのは夜。
あしたの朝、威勢のいい競りが見たいな。港前の宿に泊まりました。
④ 4日目、近くて遠い台湾の、木曜日
朝。
港は静か。宿の人にたずねると、今朝はやってなかったね、とのこと。競りです。きのうはやってたよ。
ついでに質問してみました。
さあ、どうかなあ、言わないよね〜。「沖縄へ行く」とは言わないとのことです。ほかの人も言わないよ、と。
朝食をもとめて隣接の商店へ。
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そこでもおばちゃんに質問。が、「言わないし、聞かないねえ」
朝食後、日本最西端の地へ歩きました。
空にはきのうから重い雲がはりついています。台湾の島影が見えるかどうか……
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展望台がありました。階段をあがります。
つきました。
が、見えません。
鈍い色の海と空。それしかありません。地図にあるように、ほんの少し先に大陸みたいな地があるとは思えません。
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天気予報は、数日にわたって、曇り時々雨。
与那国には3泊の予定です。帰るまでに台湾は拝めないかも。
かわりに? こういうのは見ました。
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御嶽とは、沖縄の神様を祀るところですね
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猫といえば、与那国の猫は、12月でも「さかり」の時季なのか、深夜に異性を呼びたてる声を響かせています。暖かいからなのでしょうかねえ。
さらに猫といえば、小さなカフェに入りました。
店内に、猫脚のバスタブがディスプレイしてありました。島で一番の?おしゃれカフェかも。
マスターに、おしゃれなバスタブですね、と声をかけました。
が、
はい、と答えるのみ。無愛想というか、つれない猫の態度みたい。
例の質問をぶつけてみました。
と、
「話しかけないでください」
あら、まあ。
島には不似合いなカフェなので移住者かもしれません。観光客から散々、移住してきたのですか? などと質問を浴び、もうめんどくさいのかも。
(でも、余談ですけど、後日、与那国島の自衛隊基地のNHKニュースをながめていたら、そのカフェの兄ちゃんがインタビューに得々と答えているではありませんか!まあ、別にいいんですけどね。やっぱり移住者さんのようでした)
カジキマグロをあえた和風パスタは絶品でしたよ。
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島の中心地へバスで向かいました。役場などがあります。
図書館でちょうど台湾との交流を祝するような展示をやっていました。
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しばらく前までは、与那国島との連絡船が往復していたのですが、現在は途絶えたまま。地元の人は交流の再開を切望しているようです。
館長さんがお茶を出してくれましたので、例の件をたずねました。
「さあ、どうですかね〜、あまり聞いたことはない気がしますね~」
図書館の人の回答ですから、重みがあります。残念。が、やはり昔の人は、本島よりも台北の方に親しみを感じながら暮らしていたと答えてくれました。
ほかにも島の習俗の展示が。
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マチリ(祭り)のときは、25日間、四つ足を食べないそうです。
居合わせた、作業着姿の役場のおっちゃんに、ほんとに食べないのですか? 若い人たちも?
「食べないよ」
図書館をあとにし、歩きまわりました。商店や喫茶店で例の質問を投げかけましたが、回答は「言わないし、聞かないね~」
島の東部まで歩きました。
飛行機から見下ろしたら視界に入り、目を見張ったものがこのあたりにはあるのでした。
墓地。
沖縄のお墓はでかいと聞いてはいましたが、圧倒的でした。
亀甲墓、というのでしょうか、住宅よりもでかい亀の甲羅みたいなお墓がならんでいるのです。暗い小雨の中、ひと気もなく、角を曲がった先にいきなりあらわれたので、おののき、息を飲みました。
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宿へもどろう。
巡回バスに乗ると、兄ちゃんに声をかけられました。パイナップルの栽培をしているという台湾人でした。
最西端へ行きたいけどこのハスでだいじょうぶですか?
日本一周をしている、北から降りてきて最後がこの与那国島、自分の国をながめてみたい、と。
そんな旅をしている人がいるのですね〜。
故国から最も遠い地を起点に、近い地へ向かって南下していく旅。最西端がゴール。
奈良が一番よかった、と彼は言います。
バスを降り、最西端まで案内しました。
が、曇天です。鈍い色の海と空しか見えませんでした。
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遠い距離を、長い時間をかけて南下してきた彼。旅の最後の、自国の遠景を楽しみを胸に、飛行機で飛び、電車に乗り、バスにゆられてきた彼。残念そうでした。あした帰ると言います。
兄ちゃんはまたバスに乗って宿のある集落へ向かっていきましたが、一旦、那覇へUターンしなければ帰国できないのも、なんだかせつなく思えました。
夜は、宿のテレビでたまたまやっていた沖縄芝居を見て、休みました。幽霊話のようでした。
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⑤ 5日目、おばちゃんに叱られてそしての、金曜日
また曇天。
午前中、久部良集落を歩き、漁港をながめました。
そして、商店でおにぎりセット?を買って、
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宿にもどってきでドアから部屋へ入ろうとしたら、掃除のおばちゃんに叱られました。
「靴はここでぬいでくださいよ!」
んん?
部屋はワンルームマンションみたいな造りなのですが、玄関がないのです。ドアをあけたら内側はすぐにフローリング。
靴をどこでぬげばいいのかわからず、部屋にあがってすぐのところでぬいでいたのです。
が、どうもそれは反則のようなのです。
「ここよ、ここ!」
ドアの外側の踏み台のところを、おばちゃんは手にした箒で指し示します。
屋外でぬいで靴を踏み台に置き、ドアをあけて入室するわけか。
考えてみれば、琉球家屋はそんな造りになっています。外でぬいでがらっと戸をあけたそこはいきなり部屋です。
もっと考えてみれば、東南アジアの国はたいていそうですね。与那国島はやはり、アジアなわけです。
おばちゃんは吐き捨てるように言います。
「常識でしょ!」
いや、それはちがうでしょう。
おだやかに言い返しました。ごめんなさい、でも、あの〜、本土から来てる者なんですど、ちょっとわかりづらいと思いますよ。
「?」
うちの方では、ドアをあけて中で靴をぬいでますから。
「そうなの?」
いい機会だと思い、いろいろ会話をしてから例の質問を投げてみました。
と、遠い時間の向こうを見つめる目になり、しばらくしてからおばちゃんが、
「そういえばね〜」
とつぶやき、言うではありませんか。「あたしのおばあちゃんが、生前、沖縄へ行く、と言ってたっけ」
ほんとうですか!
「ええ、言ってたよ」
おお、やっぱり言ってたんだ。直接その人ではないけれど、直接耳にしたことのある人と出会うことができた!
あたしの親は言ってなかったと思うけど、おばあちゃんはたしかに言ってた。そううけあってくれました。
そして、与那国は本島からは下に見られてたしね〜などと悲しい話をする、おばちゃん。
下に見られていたから、人々は台湾へ渡った?どうなのでしょうか、わからずじまいでした。
翌日は石垣島へもどります。その前に証人に出会えて、旅に来た甲斐がありました。
空も少し明るくなってきたようです。
牧場へ行ってみると、草原で与那国馬が草をはんでいました。
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夕方、商店へ。
母娘が、チラシを手にしたお店のおばちゃんと相談事をしていました。
楽しそうです。
なにかな?
チラシを見ると、ケーキが、3種類。
なるほど、クリスマスケーキの予約のようです。
島にはケーキ店がありません。雑貨や食品をあつかう商店で予約をするようです。
「これに決めた!」
女の子が、目を輝かせました。
イチゴがのり、クリームたっぷりで、洋菓子の王道みたいなホールケーキです。
お店のおばちゃんに聞くと、
「石垣島にはおいしいケーキ屋さんがあるんですよ」
送られてくるようです、船に乗って。
クリスマスケーキを運んでくる船。それを待ちわびる子どもたち。
入港した船を、港まで走っていく子どもたちが見えるようです。
与那国の子どもたちの心は、台湾ではなく、もはや石垣や本島に向いているのでしょうね。
⑥ やっぱり「沖縄」は遠い、帰れるのかなあ?の土曜日
帰路につきます。
石垣島ゆきの船は水曜と土曜です。
雨の中、港の窓口まで歩きました。
しかし、
ええっー!
船がありません。
欠航??
ちがうのです。
「あいにくですが」
と窓口の女性は断わった上で、こう言うではありませんか。
本当はきょう出る船なんですが、これから荒天が予想されますので、
「きのう出航しました」
えーー?
きのう出航、って、そんなあほなことが、あるのか?!
あるのでした。
後日、「フェリーよなくに」のホームページを見ると、一日早めての出航はたびたびあるようでした。
でも、ホームページで知らされてもなあ……
「沖縄時間」というものは聞いたことはあります。約束に遅れてもへっちゃら、の時間感覚。
でも、一日早めてしまうとは!
そこでふと思いました。
欠航で、クリスマスケーキが遅れてしまったらどうなるのだろう。
どうなるもこうなるも、ケーキは届かないのでしょう。
目と鼻の先の台湾からなら、そんな心配もなくなるのかもしれませんよ。
結局、帰路も飛行機でした。
プロペラ機。
滑走路からタラップで乗りこみ、つぶやきました。
さあ、沖縄へ行こう。
おしまい。