話すことは、離すこと。
最近本を読んでいた時に、こんな言葉に出会った。
話すことは、離すこと。
そうそう、そうなんだよねと深く共感した。
私は20代前半、誰にも言えない深い後悔の気持ちを抱えていて、そんな自分をずっと許せないでいた。
大切な彼とひどい別れ方をしてしまったのだ。
別れるとき、自分の本当の気持ちを伝えないまま、相手を傷つけるような言葉をぶつけた。
それからは、ふと彼のことを思い出しては落ち込み、感情が溢れると泣いて、ということの繰り返し。
時間が経って、他の男の人と過ごしても、思い出す頻度は減っても、この気持ちが浄化されることはなかった。
当時の私には、別れの決断を正解にする力を持ち合わせていなかった。
今、叶えたい生き方ができていないと思えば思うほど、
彼に頼りたくなる自分が出てきて、
なんで関係を終わりにしてしまったんだろう、と何度後悔したことか。
誰にもこの気持ちを話せなかった。こんなに引きずっている自分を認めたくない。
自分の中で行き場のない思いをコトコト、コトコトと煮込みまくっていた。
鍋の中をずっと見つめながら、ひとりでかき混ぜ続けた。
時はさらに経ち、20代後半になって、新しい彼ができて、転職もした。
仲の良い友達とシェアハウスのリビングで語り合う中、ある日突然、苦い思い出として胸の奥底にしまっていたこの秘密に触れることになる。
「なんで別れたの?」
「・・・分からない。」
でも、少しずつ言葉にしていく中で、
いつか失ってしまうのであれば、自分から離れようと逃げてしまったこと。
あの時、相手のことも自分のことも大切にしてあげられなかったこと。
別れたことじゃなくて、相手を傷つけてしまったことに深く後悔していること。
大切な人のことを尊重できなかった自分が愚かで、嫌いだった。
「そんな自分がいたんだ」と話し、
友達に「そうだったんだね、辛かったね」と受け止めてもらった。
これまでずっと抱えてきた思いが、すーっと消えていく感じがした。
話すことで、離すことができた。
自分を納得させるために、これまで必死に別れた理由を探してきたけれど、まともな理由なんてなかった。
恋愛なんて、頭で理解できないことだらけなのだ。
一緒にいられなかった、ただそれだけ。
彼とは一緒にいられなかったけれど、あの時に叶えたいと思っていた生き方は今も手放していない。
遠回りをしたけれど、少しずつ自分らしい生き方ができるようになってきている。
今の自分が好きになれたら、過去の自分も好きになれた。
彼に直接謝罪の気持ちを伝えることはしないけれど、
周りの人に誠実に接することの大切さを忘れずに生きていきたい。
それが私ができる唯一の謝り方なのかなと思う。
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