貝
中学卒業後、3年間続けた仕事を辞めて、かれこれ20年間、彼は何もせずに過ごし、ついに貝になった。
そんな彼にコロナは船だった。
自粛の空気は彼らの動かないことを後押しした。
もしかしたらこれは壮大なボイコットだったのかも知れない。
薬や疾患教育によるところも大きいのかも知れない。
しかし、真相はどうであれ、何もしない事を決め、そのまま無意に時間が流れた結果、彼の働くための力強い足や、器用な手は退化し、全く役に立たなくなった。
いや、正確には手足は今でも満足に動くが、何かをするという意欲が退化してしまったのだ。
怪我や病気で手足を動かしたくても動かせない人もいるが、彼の場合は手足を動かすための意欲がすっかりなくなってしまった。
死んでしまおうとも思ったかも知れないが、その為に手を動かす事もできなかった。
今思えば、彼の心に土足で踏み入り、何があったか聞き出して、くだらない事で挫けてないで、できる事を探せと焚き付けたかったが、そんな事をしていじけてしまったら大変だし、暴れる獣になるよりは貝の方が対応しやすいと周囲の人は思ったかもしれない。
少なくとも、同居する家族と通う病院との利害は一致していた。
スモールステップを繰り返し、少しずつ前進しながら、でももし気に入らなかったら元通り。そんな生活を20年続けてきた。
今までずっと「がんばれがんばれ」と言われてきたのが、急に「疲れたら休んで良いよ」と言われるようになったら、人は希望を持って今の生活を変えようとするだろうか?
「君は、とても一般的な病気にかかっている。」と言われ、「自分の判断で薬をやめたらいけない。」と専門家に言われたら、「再発を防ぐ事が一番大事だ。」と言われたら、リスクを冒して苦手な事や、やったことのない事に挑戦できるだろうか?
絶望した人は急性症状が回復した後も、長期間何もせずに過ごす事で、脳に刺激が減り、使わない部分が退化する廃用症候群のような機能障害に陥っているように見える。
宇宙飛行士は2週間の無重力体験で歩けなくなる。
20年間何もしないでいる事で、彼が失ったものは大きい。
しかし、それでもいいと思ってしまったのだ。
例えば人生のほとんどを病院で過ごしている人は、社会能力を失い、病院から離れられない。
今まで薬漬けだった彼らが、高齢化や財源不足を理由に急に退院させられると、時代の急激な変化についていけないのだとか。
スマホやICカードを使った事がなく、電車の乗り方もわからない。
待っていたら何もかも提供される環境から、急に自分のことは自分でしないといけなくなったのだ。
その一歩を、今まで20年間踏み出した事のなかった一歩を、今更踏み出す事ができるだろうか?
今まで、何度もチャンスはあった。
その度に踏み出さないという選択をしてきた。
その方が都合がいいからだ。
一年間頑張ってきたのに、急に疲れて、頑張れなくなってしまった。
おそらくその理由を本人も覚えていないくらい長い時間が過ぎた。
しかし、維持を続ければ続けるほど、変化できない事もわかっていた。
変化が必要なことはわかっている。
現状に満足はしていない。
しかし、先の見通せない外海に出て、自分は上手くやれるだろうか?
答えは自分でもわかっている。
「踏み出して見ないことには分からない。」
あれ?
気づいたら、自分も貝だった。
海の底で生き延びることだけを考えている。
一歩を踏み出す為の足はあるのに。
海の底の慣性にゆらゆら揺られている。
刺激や変化はフィクションであるから美しい。
問題や試練もバーチャルだから楽しめる。
定住を求めた弥生人たちからの伝統か、動かないと決めた人に対する周囲の寛容な態度は、安定を求める自分自身に向けられているのかも知れない。
(お話のモデルになっている人の年齢や性別や設定は個人情報に配慮してあえて創作を加え、実際の情報とは変えてあります。)