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アウトサイダーアート

アール・ブリュの英語訳としてこの言葉は誕生したというが、「生の芸術」と「Out-sider(外の人)の芸術」では印象はだいぶ違う。 この外人的な響きを持つこの言葉に一部の人は抵抗感を感じ、「ボーダーレスアート」や「エイブルアート」などの造語が生まれた。 ここでいうインサイドとは何を指しているかというと、芸術教育機関であり、権威である人たちがアートと認識する範囲の事で、ラスコーに始まりAIへと続く、ヒストリーに列挙されている一つの流れとしての芸術である。 ないものねだりのアー

コンセプトはあっても言わない

(もしくは、コンセプトで語られるのは、別の物語) 結局のところ、求められるのはアイキャッチであって、うんちくではない。 おしゃべりが得意な人は、話術で商売する方がよっぽど効率的である。 抽象的な形や素材の美しさを建築やデザインに明け渡してしまい、アートに求められるのは、純粋な美しさというよりなむしろある種の「違和感」なのかもしれない。美味しいものばかり食べている人がたどり着く癖のある味であり、美しいものばかり見て疲れた人が探す心地よい不気味さである。 批判を恐れず、権威に

暴露療法としてのものづくり

人は興味のあるものを作品化する。 その意味で、ベーコンの絵画のように自身の潜在的恐怖をモチーフにするような作品は多く存在してきた。 VANITASのモチーフや死を直接想起するような作品は多いし、ホラー映画のように恐怖や不安からの生還をテーマにした作品もある。 小説や漫画やゲームには敵役が存在し、その敵が体現するものがその時代の共通の、普遍的なものほど、多くの共感を得られたりもする。 その作品の制作過程は作家にとって、恐怖を克服するための時間であり、自分に課す暴露療法なのでは

グラフィティについて(私見)

アートの歴史は、画材の技術革新の歴史でもある。 そもそも画材が高価だった時代には一般的な生活水準で画材に触れることが困難だったことから、宗教や貴族の庇護なしでは創作活動は存在し得なかった。 ラスコーなどの壁画のように、ドローイングの類は多数存在していたのかもしれないが、それが後世にまで残るためには、素材としての強度と奇跡的な偶然が重なる必要があった。 結果論として、作者がそのことを知ってか知らずか、現在我々が見ることができる作品は石彫やフレスコ画など、建築に付随するするも

コンセプトのその先

アートの強みは説明が無くても一目で作者の意図が伝わる、いわゆる非言語のコミュニケーションに特化した結果、言葉の壁を破り、一瞬でメッセージを伝えることができることだ。 古典絵画などが理解できないのは、その時代背景や習慣、社会情勢など、当時の人が当たり前に肌で感じていた常識を我々が知らないからだ。 しかし、古典絵画についての説明は、ただの歴史の解説よりもよっぽど面白いのも確かである。 作家は様々なメッセージを隠すことができたし、無意識で本心が現れてしまうようなことも多々あった