人生の手綱とTAZUNAコンセプト。no.475
『人生の手綱(たづな)を握っていたい』
年初に色々な方とオンライン等で会話していると、やはり『安定した企業にいるのにそこまでに動けるのがすごい』と何度か言われる。
で、そんなありがたい言葉をいただきながら、先週の投稿↓↓に引き続き自問自答していたら浮かんできたのが冒頭のフレーズ。
人生をコントロールしていたい
僕があれこれ自分で取り組みをするのはなぜだろうと考えてみた。
それは、自分の人生の手綱を握り、自ら操っていきたいと思っているからだ。
20代の頃、自らの旗を立てて活動している年上の人たちは、皆さんそれぞれに自分の人生に全力投球しているように見えた。
流されるのではなく、
寄りかかるのではなく、
自分の意思で、
自分の向かいたい方向に進んでいきたい。
当然、完全なコントロールなんていうのは到底無理なんだけど、
予測不可能なことや障害が現れても、
コントロールする力を持っていれば、道筋を変更しながら前に進んでいける。
むしろただまっすぐ走ってたってつまらなくて、
難しい道筋なほど楽しいって言える。
そんな姿を目指して、日々の取り組みを少しずつ積み重ねている。
うまくいくことばかりでは無いけど、
少しずつ理想に近づいているのは間違いない。
TAZUNA Concept
そういえばレクサスも、2021年からの『TAZUNA』というコンセプトに基づいたインテリアデザインを進めているそうだ。
目指しているのは、"意のまま"にクルマを操るという状態。
上記はインテリアのことだけど、クルマの挙動もレスポンスも、"意のまま" を目指しているという。
別のブランドだと、BMWのコンセプトは、『駆け抜ける歓び』。
クルマのラグジュアリーブランドがこのような価値観を訴求しているのは、
ただの "移動" 以上の、高次の価値観を考えたとき、
人は本能的に、『自分の思うがままに操りたい』という欲求があるからなのではないでしょうか。
手綱を握ろう
30年、40年前はきっと、道は今よりもっと、まっすぐだった。
少なくとも、世の中の全体が、道はまっすぐだと "信じていた" 。
そんな時代なら、自ら手綱について考える必要などなかったのかもしれない。
でも今は、この先の道がどうなっているか、
わからないものだと感じている。
社会も、個人も。
そんな時代だから、
本能的に手綱を握りたいと思っているのかも。
そして私以外にも、
手綱を握りたい、握らなくては、と思っている人は多いのでは。
私は少し、その動きが少々大きいだけ。
そんな風に思います。