報道による印象操作の危険性について
6月18日、五輪談合事件(まだ結審したわけではないのでこの呼び方自体も印象操作になるのかもしれないが)の被告6社のうちの1社である電通の公判が東京地方裁判所で行われた。ちょうど東京都知事選が始まるタイミングだったせいか、メディアの報道はほとんどなく、私が知る限り翌日の朝刊紙面では読売と朝日が短い記事を掲載していただけだった。
見出しを読めば一目瞭然だが、読売と朝日では今回の公判の印象は大きく異なり、本文が短いだけによけいにその差が際立つ。また、読売も朝日も報道しなかった重要なことが公判で語られていた可能性もあり、メディア報道の限界を実感するとともに、印象操作になってしまう危険性すら感じる記事だった。
以下に読売と朝日の記事を全文引用する。
あらためて、今回の談合事件の対象とされている業務は以下の3件である。
1)テスト大会の計画立案業務
2)テスト大会の実施業務
3)本大会の運営業務
今回の被告6社のうち、博報堂、セレスポ、セイムトゥー、FCCの4社は上記の3つの対象業務全てについて談合を否認しているが、電通と東急エージェンシーは1)の計画立案業については談合を認める一方で、2)3)の業務については否認している状況だ。
なので、公判で電通が「心からおわび」したのは3つの業務のうちの「計画立案業務」に限定されると思われる。ところが「電通副社長、東京五輪テスト大会での談合認め『五輪に関わった方々に心からおわび』」という読売の見出しは、あたかも1)だけでなく2)も含む全てのテスト大会業務について談合を認めたかのような印象を与えてしまう。
また、朝日の記事にある 「競争入札で発注されたテスト大会の計画立案業務(契約金約5億7千万円)」「随意契約で請け負ったテスト大会実施業務と本大会運営業務(同計約431億5千万円)」は、実際には被告6社とリニエンシー制度を使って罪を免れたADKの合計の契約金額だが、この文脈だとあたかも電通がこの金額を単独で受注したかのような印象を与えかねない。
このような報道を見るにつけ、メディア側には報道が印象操作にならないような細心の注意が求められる一方で、読み手側にはメディア報道をうのみするのではなく常に「何が本当なのか」を読み取るリタラシーが求められることを痛感した。
ただ、今回はたまたま私が五輪関係者だったので記事のミスリーディングな部分に気づくこともできたが、広く一般の人々が細かい五輪事情までを知るのは難しく、だからこそメディアの存在意義は大きいのだと思う。特にSNSが普及した今、メディアの責任が問われている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?