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2019年、ある生活保護当事者とのトラブルとその後

 貧困や生活保護に関する取材執筆を続けており女性障害者でもある私は、「生活保護」「女性」「障害」「報道」のいくつかが重なっている領域で、いわば弱みを突かれる形でトラブルに巻き込まれやすい状況にあります。
 もともと報道は、一定のリスクを伴う職業です。貧困や生活保護のような社会課題に向かい続けることは、慢性疾患のように心身の健康を苛むことが知られはじめています。そこにトラブルが重なると、非常に深刻な事態に陥ります。
 本記事では2019年に発生し、現在も続いているトラブルについて、概略を述べます。2021年現在、事実と異なる噂が広まっており、私のあずかり知らないところでドス黒い何かが起こっている様子が散見されるからです。

お願い:まずは事実確認を

 あらゆる方に言論の自由があります。もちろん、私に関して語りたいように語る自由もあります。しかし、その内容に基づいて行動を起こしたり判断したりする前に、事実関係の確認をしていただけないでしょうか。

 簡単なことです。

 語っている方に、内容の5W1Hを尋ねてください。たとえば私に何かひどいことをされたという方には、いつ、どこで(オンラインでも)されたのかを確認し、その通りであるかどうかを私に確認してください。

2019年、最初のトラブルは24時間以内に終了

 その方のお名前を「Aさん」とします。女性であり、精神障害当事者であり、生活保護で暮らしていらっしゃいます。

 2019年、私が会員メーリングリストの管理をしていた障害者団体に、Aさんが入会されました。
 Aさんはメーリングリストに参加してすぐ、自己紹介をしてくださったのですが、自己紹介の中には、現職のブランド大学教員との性的関係やトラブルに関する内容が含まれており、しかも大学名も教員の実名も書かれていました。

 メーリングリストや会員制SNSやSNS上のグループは、「会員限定」といえども公然の場です。1990年代以来、ときには自殺者が発生するような深刻な紛争が繰り返され、裁判で事実関係や課題が確認された結果、2000年前後に「公然の場」であるという解釈が確立されました。このことが意味するのは、オープンな場で堂々と言うわけにはいかない名誉毀損やネットいじめは、「公然の場」であるメーリングリスト等でも同様に許されないということです。私は特にAさんだけを対象とするわけではなく、メーリングリスト参加者全員を対象として、注意喚起の投稿を行いました。

 次に私がそのメーリングリストをチェックした時、Aさんは、私にひどいモラハラをされたので団体を退会する旨の投稿をしていました。団体の運営担当者は、Aさんの退会を認めていました。私は、通常の退会者に対する場合と同様に、Aさんをメーリングリストから削除しました。
 Aさんのその投稿には、私の過去の学歴その他を曲解した内容や、私が意図しておらず言ってもいない内容に基づく内容が含まれていました。私は「個人攻撃」として問題にすることもできましたが、退会された以上、そのメーリングリストとは無関係です。ターゲットが私ではない第三者なら管理者としても放置できないところですが、よりによって管理者でもある私自身です。Aさんの投稿内容のうち私に向けられたものについては、その場では不問にしました。もしも、他に飛び火するようなことがなく「その場限り」で終わるのなら、おそらく最良の対応です。なお、ここで私はAさんや団体名や投稿の詳細を明らかにしていません。職業としてシステム管理を行っていた時期もある者として、過去に管理していたメーリングリストであり現在も全ログが手元に残っているといっても、本人が容易に特定される形で投稿そのものを紹介する行為は職業倫理に反します。

 そもそも、障害者団体の「中の人」という立場は、報道業との利益相反を引き起こします。障害者をめぐる状況がより深刻になるであろう今後の日本において、その深刻ぶりや課題を報道しにくいのは困ります。というわけで、私はそれまで参加していた障害者団体を次々に退会しつつありました(現在、参加しているのは、そのような問題が発生しない団体のみです)。その団体も、2019年末で退会しました。

 Aさんとの問題は、そこで断ち切れると期待していました。しかし現在も、Aさんと私の間には、私にとって絶望的な争いが続いてしまっています。「絶望的」というのは、争いを続けてエスカレートさせるかどうか、内容や手段として何を選ぶか、何もかも圧倒的にAさんに実質的選択権があるからです。多様な職業倫理や業界ルールに縛られている私には、実質的に選べる選択肢は多くありません。

次から次に「あら、またお会いしましたね」

 Aさんの関心範囲は非常に幅広いようで、2020年以後も、私が参加する団体のメーリングリストや大会や交流会等でお見かけする機会が多々あります。「生活保護」という共通の関心対象と、「女性」「障害」という共通属性があるわけですから、自然の流れでしょう。問題は、私の存在に気づいたAさんがどう反応するかです。

 Aさんがそこにいることに気付くと、私は息をひそめます。トラブルなら、2019年の一件で充分。Aさんもだんだん学習しているようで、2019年にみられたような大学や教員の実名を挙げての個人攻撃はしなくなっています。通常、一発レッドカードですからね。

 そのうちに、私がAさんの存在に気づいてからAさんがいなくなるまでの時間が短くなってきました。もしかすると、2019年の私と同じような経験をした方、そういうやりとりを目撃した方などが複数、早めに場の管理者に相談しているのかもしれません。

積極的に排除したい人はいないのに

 女性や障害や貧困や生活保護といった課題に取り組む団体やグループは、そういう属性が重なる人々を積極的に排除したいとは考えていないと思います。2019年の私自身もそうでした。ただ、注意喚起しただけです。

 しかしAさんのご主張の内容を要約すると、「自分の属している場所や見ているどこかに、自分の居場所感が妨げられるものがあってはならない」ということになります。たとえば大学教員は、大学という居場所があり学生と話すことができるのだから、Aさんのいる場所で発言してはならないそうです。その場に存在してもいいけれど、発言や会話の機会が少ないAさんにより多くの発言や注目の機会が与えられなくてはならないのだそうです。私のnote記事群も、同様の理由で、存在自体が非難の対象になっています。

 どの団体もどの場もどの人も、Aさんを当初から「積極的に排除したい」とは考えていないでしょう。しかし、Aさんの論理を「まったくそうですね、ご説ごもっとも。そうしましょう」と受け入れるわけにはいかないことが多いと思われます。そもそも「Aさんの居場所」として作られているわけではないからです。結果として、Aさんは居場所を失うことになってしまいます。

今後は不透明だけど

 2021年9月現在、Aさんの問題は私にとって現在進行中です。Aさんに居場所を失ってほしいわけではないのですが、「Aさんがそこで居場所を失わない」ということは、自動的に何らかの形で私が事実上の排除に遭うことを意味しているからです。

 今後、2019年にAさんと不幸な接触が起こってしまった結果が、私をどのようにしてしまうのでしょう? 不安は現在も継続中です。
 とりあえず、現場からは以上です。

ノンフィクション中心のフリーランスライターです。サポートは、取材・調査費用に充てさせていただきます。