家族の中の私と、個人としての私
「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」
これは、相田みつをの一節で、私の大好きな言葉です。トイレに飾っていたくらいです。
10代、20代の自分は、「じぶんのこころ」は、比較的シンプルでした。両親などの家族や、大切な存在はいるけれども、「じぶんのこころ」は、自分自身の意思に近いところにありました。
青年海外協力隊には、中学校の頃から関心があり、ふとしたときに申し込んでみました。事後に「どうやって申し込んだの?」と聞かれて、「え、サイト開いて、ダブルクリックしたら、申し込めたよ。」と伝えたくらい。
けれど、30代の私は、「じぶんのこころ」は、じぶんだけではなくなってしまいました。結婚し、子どもが出来て、常に「じぶんのこころ」は単独で存在しないで、子どもたちにとっての私という存在が大きくなったからです。
正直に言って、この10年は、「単独の私」にとっては、様々な犠牲を払ってきました。
少しずつではありますが、子どもたちが手がかからなくなってきて、自分の今後の10年、20年を考えられるようになってきました。というか、考えるために、土日に自分のための時間を作れるように、資格学習の時間などを、死に物狂いで確保しています。
とは言っても、
「今の仕事をどうするの?」
「どんな可能性があるのだろう?」
など、自分の思いを形にする世界や、人が、どこにあるのかわからない、と言っていた時に、このnoteを開設することを示唆してもらいました。
〇子育てを通して、「人の成長をサポートしたい。」という思いは、学生のころからもっていた視点ですが、より強くなりました。
〇国際協力に携わっていたい、とはずっと思っています。幸いなことに、今は、公教育の中で、国際教室という現場に携わっています。その経験も活かしていきたい。
〇集合での教育より、個別の教育の方が楽しい、向いていると感じる。
こんな感覚。なので、この10年は、個としての私の可能性を再び、広げていきたいと考えています。
〇公教育、教育ビジネス、NPOなど、組織は問わないで、適切な働きから、社会へのかかわり、貢献を模索したい。(どんな方法があるか、知らないことが多いから、同じような問題意識をもって、様々な活動をしている方を知りたい。)
〇公教育と、実社会を橋渡しするような現場も面白そう。
〇日本と、世界とを橋渡しするような、(しかも、コロナ禍でも)、働き方、かかわり方を模索したい。
コロナ禍で、物理的な動きが制限されている分、5Gや、DXや、メタバースや、と、つながれる可能性は広くなってきているとも感じています。(身近なところでは、このnoteにも可能性を感じる!)
そんな感じです。少しでも共感いただける方、スキや、情報交換をぜひよろしくお願いします。