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250208 汲めども尽きぬ永遠の泉=民族音楽

今日のプレイ・リストから 111
ロベルト・ムッシ
「断片化の時代」


ボクはかつて長岡教の信者でした。といっても、「反社会的カルト集団」ではありません。オーディオ評論家、故長岡鉄男さんのファンを、若干の揶揄を込めてそう呼んだんです。長岡さんにいろいろ教えてもらって、音楽を曲だけでなく、響きそのものとして楽しむようになりました。余談ながら、no+e界隈には長岡教が結構命脈を保っていて喜んでいます。

民族音楽も長岡さんが紹介してくれました。ボクが持っているわずかなコレクションの中で唯一の自慢は、彼が絶賛したノンサッチ・レーベルの「チベットの仏教音楽」シリーズ1~4がそろっていることです。世界の民族音楽を録り続けたイギリスの偉大なディレッタント、デイヴィッド・ルイストンによる収録です。

おかげさまで、本作を聴いた瞬間、とても懐かしかった。出だしの金属音は、多分、スイルニェン(チベットのシンバル)の響きです。すぐ続く世界を破壊するような管楽器の響きは、間違いなくガドゥン(チベットのホルン)だと分かりました。しかし、単なる録音ではありません。音響上の処理をして、別の音楽に仕立てています。

ロベルト・ムッシはイタリアのミラノに生まれ、サックスとギターを学んだ後、1974年から11年間、アフリカ、インド、アジアの現地で民族音楽を収集しました。それらをネタに新しい自分の音楽を作っています。ネオ・エスニカとでもいうのでしょうか。

近年、こうした態度は文化の剽窃として批判されることがあります。例えば、彼の視覚作品に「歌舞伎役者」というものがあります。これを見て、不快に思わない日本の歌舞伎ファンは少ないんじゃないでしょうか。自由な表現とは何か?について考えさせられます。