#青ブラ文学部 #私の岩波文庫 〜M. ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
2024年もあとわずかですね。
もう年末だし、今年のnote投稿は店じまいしようかと思っていたところ、山根あきらさんの「特別企画」を見つけましたので、ぜひ参加させて頂きたく、本稿を2024年のlast noteにしたいと思います。
高校1年の頃だったか、国語で丸山眞男の『日本の思想』(こちらは岩波新書)を読んでレポートを書くという課題を出された。
歴史ものは好きで読んでいたが、それまでロクに学術書を読んだ経験のなかった私は、畏れ多くも「日本の近代化や自由、民主主義といった基本概念を概説的になぞったもので、特に目新しさはなかった」というような趣旨の感想を書いた。(あの丸山眞男にそんな感想を抱いたおバカな高校生の自分を「ひっぱたいて」やりたい笑)
案の定、すぐさま国語の教師に呼び出しをくらい、「オマエの言う戦後民主主義の枠組みを作った一人が丸山眞男!それをなぞっているのは他の連中。覚えとけ!」と呆れ顔で言われたことを昨日のことのように思い出す。
それ以来、私は丸山眞男や大塚久雄、長谷川如是閑といった戦中派リベラリストの著作を好んで読むようになった。
さて。
ドイツの社会学者マックス・ウェーバーの名前は丸山眞男の著作にも頻出していたし、世界史の授業でウェーバーの代表作として習った『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 (通称「プロ倫」)の岩波版の訳者が大塚久雄だったので、大学に入ったらぜひ最初に読もうと、勢い込んで買ったのが岩波文庫の『プロ倫』だった。
1読め。
全く歯が立たない。天下の『プロ倫』が大学受験現代文の読解テクニックごときで手におえるハズがない。それでも修行よろしく気合いを入れて読み通すも、字面を目でなぞっただけで終わる。
2読め。
政治学専攻の友人達と読書会を開いて読み込む。色々誤読も多かったと思うが、一人で読むばかりではなく読書会という「団体戦」で取り組むことの意義を知る。学生の読書会なので御多分に洩れず、そのまま飲み会へ。酒を飲みながらウェーバーその他の研究者の名前も(知ったかぶって)あげつらい、アカデミズムの「香り」を楽しみつつ1年が終わる。
3読め。
そろそろゼミを決めなければならない頃、ウェーバーをテーマに論文を書くことを念頭に、プロ倫もガッツリ再読した。結局、卒論はウェーバー以外のテーマにしたが、自分が文章を書くことを前提に解説書などの助けも借りながら読んだので、この時が最も深くプロ倫を読めたと思う。
なお、当時はやっとワープロ(パソコンではない)が学生でも買える金額で家電量販店に並ぶようになっていたが、当時の学生は相変わらずノート派が多く、私も何冊かノートを作った。
さて、さて。
とは言え、それから30年近く時を経ているので、今同書について思い出せることといえば「世俗内禁欲」だとか「天職(ザッヘ)に仕えよ」だとかの断片的なフレーズだけである。(情けない…。)
ただ、若き日のあの作業が無駄だったのかというと全くそうではない(と思いたい)。ウェーバーの『プロ倫』を大学入学後、早い段階で読み通し(少なくともその時点では)一定の理解を得ることができたという事実が、それ以降、同じくらいゴツいテキストに取り組む必要が生じても「どんとこい!」と思える自信と度胸につながったことは確かだからである。
今年の年末大掃除で、書き込みが満載の『プロ倫』を書棚の奥の岩波文庫エリアに見つけたので、正月休みに再読してみますかねぇ。