見出し画像

地方公務員も「転職」は身近にある

こんにちは。
地方公務員10年目、3児のパパの”ぺいパパ”です。

2025年の仕事始めから早1ヶ月。
思い返せば仕事納めの2024年12月27日、必死に仕事をこなしていました。
ですが、退庁できたのは翌28日午前1時。

その日の仕事量は度を超えていました。
トイレやお昼休みもろくに取れず、でも周りには振れずに抱える私。
上司はインフルエンザに罹って急遽お休み。
頼りの先輩も日頃の疲れが溜まり、過労で午後から急遽の帰宅。

自分で書いておいて、「なんだこの職場」と笑いたくなるほど。
これでも役所内では中枢の政策&経営部署。
「職員のお手本」と呼ばれる人達が集められているはずですが。

色々と考えさせられる2024年でした。


地方公務員も甘くない!

「国家公務員は大変と聞くけど、地方公務員は暇なんでしょ?」
「9時〜5時で仕事終わって、羨ましい」
「うちの近くの役所は6時頃には暗くなっているよ、いいよね」

そんな言葉を、今も友人や親戚から言われます。
でも、定時帰宅できた日は、入庁10年目で未だに1回もありません。

当の私も入庁日は、
「今後は安定的な給料で、それなりに仕事して生活するんだろうな」
などと安直に考えていました。

入庁3年目までは生活保護のケースワーカー。
担当地区の家庭訪問を朝から晩まで行い、定時後に記録を作ります。
その上で、支給済みの保護費・今後の保護費を調整する資料作成。
時には、山梨県まで日帰りなどもあり。
0時の終電に走って乗り込み、自宅に1時着。
終電を逃した時は、歩いて45分かけて帰宅、そんな日もありました。

4年目からの観光部署、区役所よりも酷い。
イベント等の企画と関係団体との調整、そこに定時という概念なし。
私史上初、残業月100時間を超えました。

その後の大学院への派遣期間、たった1年間でしたが大変充実してました。
勉学も周囲のレベルの高さも刺激的でしたが、
何より「自分の時間を自分で使える」のがありがたい!
この時初めて家庭と仕事を両立できた気がします。

そして現在の部署、はい元通り。
求められる業務レベルも高くなり、チームメンバーは精神不調で離脱するか、嫌になって転職する状況。
「中枢部署でもこれか、地方公務員もなかなか甘くないな」、そう思いました。


限りある時間の使い方

そんな中、良い本に出会えました。

人生は、たった4,000週間しかない中、計画通りになんていかない。
やるべき事、時間の制約を意識して取り組むことが大切なのだと。

思い返せば普段の仕事、決して生産性の高いものとは言えません。
ダラダラと長い会議や打ち合わせ、本当に多く感じます。
「完璧なんてない、目指すものでは無い」そう思いながら仕事はしますが、
クオリティの高い仕事に仕上げるにも、その意識が低い職場は山ほど。

中枢部署にいるからこそ感じる、庁内全体の質の低下。
「こんな人たちで本当に100万人都市を成長発展させていけるのか」と不安になる。
それと同時に、「この職場で私は成長していけるのか」とも思う。

区役所でも窓口業務、観光部署での企画立案、大学院での政策研究、
そして政策経営部署での庁内コンサル業務。
経験は積んでいるが、それが成長に結びつくと言うよりは、庁内に還元しているだけで昇華できていないのではないか。

「転職」を考える

そんな時に思い出したのが、2024年度途中で退職した先輩のこと。

「お前も転職した方が良い。ここにいても自分の才能を無駄にするだけ」
この一言をしっかりと受け止める時が来たと思いました。

給料面や待遇面で言うと、地方公務員はだいぶ改善されています。
妻と子ども3人を養うには十分いただいており、待遇も同期と比較して悪くない役職と責務。
ただ、これといって充実感はない。「やらされている」感じが続く日々。

その上で謎の庁内ルール。
所管局とのやりとりも結局手取り足取り教える、そんな相手は課長級。
私の1.5倍は役所経験も給料もある。

周囲でも転職する人が増えました。動機は「この職場が嫌」とのこと。

でも私は、この職場から逃げ出すのではなく、自分のスキルを磨きたい。
そのためには、この職場を出ないと始まらないのではないか。

そんな思いで、2024年の年末に転職活動を開始しました。
活動の動向はまた別途書き記します。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!

ぺいパパ@3人子育て公務員
よろしければサポートお願いします! いただいたサポートは夫婦でクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!