アルバムレビュー:『時のないホテル』 - 松任谷由実

(文:yoshiro)

 前回、ryotaroがまさかのゴリラコンボを発動してゴリラを畳みかけてきたので、このマガジンのタイトルを「アルバムレビュー」から「ゴリラ大好きバンド3pageのゴリラ観察日記」に変更することも検討しましたが、残念ながらゴリラネタはこれ以上続きませんでした。今回ご紹介するのはこちら。

『時のないホテル』 - 松任谷由美 (1980)

 はい、言わずと知れた天下のユーミンによる、9thオリジナルアルバム。40年以上のキャリアを誇る方なので、9枚目といっても初期にあたるんでしょうが、すでに円熟した才能の重みを感じさせる濃厚な一枚です。


 僕はもともと「荒井由美時代こそ至高!」と公言してはばからない男だったので、『ひこうき雲』(1973)に始まり『14番目の月』(1976)に至る荒井名義の作品群はヘビロテしていたんですが、1977年以降の松任谷ユーミンはそんなに聴き込んでなかったんですね。(注:僕は1989年生まれです。)

 が、この『時のないホテル』を聴いたとき、考えを改めました。荒井時代も松任谷時代もユーミンはやっぱりすごい。

 36年経っても色褪せていない楽曲構成もサウンドもすごいですが、あいにくYoutube、Amazon、iTunes等々を漁ってもネット上にほとんど音源がなかったので(ぜひTSUTAYAあたりでCDを入手して、曲のすごさをご自身の耳で確かめてくだされ)、今回は歌詞に焦点を当ててご紹介したいと思います。


 本作におけるユーミンのストーリーテラーとしてのセンスには、脱帽だけじゃ足りません。一曲一曲があたかも短編小説のような珠玉の出来栄え。どれか一曲を取り上げて詳しく……と思ったけどその一曲を選べなかったので、もう全9曲の好きなフレーズ&概要を書いちゃいましょう。えい。

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『時のないホテル』

1. 「セシルの週末」
〈そうよ下着は黒で 煙草は14から 
ちょっと待ってくれればなんだってくすねてきたわ〉

…不仲な両親のもとで育った不良少女の恋と、それによる少女の変化を描いた歌。出だしの「窓たたく風のそらみみでしょうか あなたからのプロポーズは」というフレーズも大好きです。

2. 「時のないホテル」
〈さっきお昼のカフェで話し ろう下で見たレディは
かつらの色がガラリとちがう
こっそり開くパフにしこんだアンテナ 口紅から発信機の音〉

…もはや007的スパイ映画のワンシーン。無線機ごしのようなボーカルのエフェクトとともに、映画を観ているような鮮明な情景が浮かんできます。

3. 「Miss Lonely」
〈50年前の日付のままカードを書く
ときには写真にむかって 白い髪を編んで見せる
ミス・ロンリー 身の上話をまともにきく人はいない〉

…戦争から帰ってこない恋人を待ち続ける老婆の歌。設定がすでに切なすぎる。

4. 「雨に消えたジョガー」
〈あたたかい朝もやが雨になる
眠った通りを響かせ うつむいたランナーがあらわれる〉

…白血病で夭逝した陸上部の彼を想う女子高生の歌。これも設定が切なすぎる。白血病を歌詞中では「ミエロジェーナス・ロイケーミア」とドイツ語で言っているのがまた憎いですね。一聴しただけでは分からず、歌詞を読んで、意味を調べたときに立ちあがる悲しい物語に、胸を詰まらせた人がどれほどいたことか。

5. 「ためらい」
〈手をつなぐほど若くないから あなたのシャツのひじのあたりをつまんで歩いていたの〉

…酸いも甘いも知った年頃だからこそ、若い恋とは違った切なさを持つ恋模様。サビの〈昔の恋をさりげなくきく あなたは冷たい人〉というフレーズも良いですねえ。

6. 「よそゆき顔で」
〈砂埃りの舞うこんな日だから 観音崎の歩道橋に立つ
ドアのへこんだ白いセリカが 下をくぐってゆかないか〉

…結婚を控えた女性が、族まがいの日々を過ごした若かりし頃を振り返るという歌。観音崎にはちゃんと歩道橋がある、ということを下調べしてから歌詞を書いたそうな。

7. 「5cmの向う岸」
〈最初からわかってたのは パンプスははけないってこと
歩きつつ彼と話すと 知らぬまに猫背になるの〉

…周囲のからかいに負けて、背の低い彼氏とうまくゆかなくなってしまう女の子の歌。明るい曲調の可愛らしい歌ですが、ハッピーエンドじゃないのが渋い。

8. 「コンパートメント」
〈白い眠りぐすり 冷たい水と喉に溶ければ
つややかな馬にまたがり テムズを渡る夢
やがて私は着く 全てが見える明るい場所へ
けれどそこは朝ではなく 白夜の荒野です〉

…旅客車の個室席での睡眠薬自殺、という情景を描いた曲が重くないわけがない。7分台の大作。ユーミンのキャリア中もっとも長い曲らしい。

9. 「水の影」
〈時は川 きのうは岸辺
人はみなゴンドラに乗り いつか離れて
想い出に手をふるの〉

…時の流れの無常さ、というのは永遠のテーマですね。このグッと抒情的な歌詞によって、アルバム全体をまとめ上げる役割を果たしているように思えます、名曲。

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 はい、いかがでしたでしょうか。もはや音楽アルバムというか、ユーミン版ナイン・ストーリーズ。

 僕がとりわけ尊敬している日本の作詞家は「松本隆」さん、「松任谷由美」さん、「堀込高樹」さんのお三方なのですが、作詞家「松任谷由美」の最高傑作の一つがこの『時のないホテル』だという主張に異議を唱える人は少ないはず。

 数分の音楽の中で多種多様な物語を描く、その言葉選びの巧みさには、詩情というより、いっそ職人芸を感じます。ユーミンといえば「恋愛の教祖」という二つ名が有名ですが、恋愛にかぎらず人生の滋味なら何だって切り取ることのできる天才的な手腕に対して、その二つ名では役不足に感じますね。


 さてさて、ユーミン好きなので熱くなってしまいました。好きとは言っても1973年のデビューから1985年の『NO SIDE』あたりまでしか聴いてないんですけど、まあ度肝を抜かれましたね。

『紅雀』(1978)→『流線形'80』(1978)→『OLIVE』(1979)→『悲しいほどお天気』(1979)→『時のないホテル』(1980)→『SURF&SNOW』(1980)→『水の中のASIAへ』(1981)→『昨晩お会いしましょう』(1981)→『PEARL PIERCE』(1982)……などなど、この時期の作品群は年2枚のハイペースでリリースされていながら、まさしく黄金期の名にふさわしい出色の出来。そりゃ紫綬褒章も受章しますわな。J-POPの世界は彼女の手によって間違いなく豊かなものになりました。ありがとうユーミン。

(再注:僕は1989年生まれです)

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