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鼻すすりに気をつかう。


前書き 

こういうことを書くと、今のこの世の中だとこちらが悪者にされる。
 「気にしすぎ」「気にする方が悪い」「気にする方がおかしい」「そんなことが気になるなんて病気だよ」「気になる方が自分で対策しろ」……などと言われる。
 そういう人達の言葉を真に受けて、私は「嫌でも耐える努力」「気にしないようにする努力」「自分でできる限りの対策をする努力」を、自傷行為をしたり精神科に入院したりするまでやってきた。
 でも私のこういう頑張りは、私みたいな人間を苦しめるような人を助長させ、私と同じタイプの人をより苦しめることになるのだと気づいた。
 私のような人間がどれだけ努力をしても、私のような人間を苦しめるタイプの人は努力しない。むしろどんどん自分を正当化していく。

 私は、私と同じタイプの人の味方でありたい。
 だから私のような人間を苦しめるタイプの人にどれだけ「お前が悪い」「お前がおかしい」「お前は病気だ」「お前がもっと自衛しろ」と言われても、私がおかしいと感じることは「おかしい!」と言っていこうと思う。

本文

 先日、美容室に行った。
 いろいろ事情があって(それも基本的には「私を苦しめるタイプの人」に苦しめられていることが原因)美容室に行く頻度を高く保てなくて、間があくと同じところに行くのが恥ずかしくて別のところに行く……というのを今は繰り返している。
 だからいつも同じ人に担当してもらうのではなく、毎回新しい人に担当してもらうことになる。ある意味毎回ギャンブルである。

 先日行った美容室で私の担当をしてくれたのは、私と同じくらいの年頃の女性だった。見た目ではもっと若いかなと思ったけど、話をしていく中ででどうも同じ(30代前半)くらいのようだと考えを改めた。

 受付のカウンターにその美容師さんが待機していて、私は予約の時間と名前を伝える。その時からすでにこの美容師さんは鼻をすすっていた。
 カット台に案内され、予約したメニュー内容の確認とどういう風にしたいかの話し合いをする。その間もこの美容師さんはずっと鼻をすすっている。
 シャンプー台に案内され、今なら話しかけられるという「間」を感じたので、私は勇気を出して言った。
 「鼻すすりの音が苦手なので、できるだけすすらないようにしていただけますか」と。
 するとこの美容師さんは「少しお待ちください」と言って別の部屋に移動した。たぶん鼻をかみに行ったのだと思う。
 美容師さんが戻ってきて、いよいよシャンプー開始。頭皮マッサージ付きのシャンプーなので、シャンプーの時間は少し長かったけれど、その間この美容師さんは鼻をすすらなかった。ということは、「すすらないようにしよう」と思えばできるということだ。

 その後またカット台に移動し、カットしたりドライヤーを当てたりアイロンで癖をのばしたりしてもらう。
 私は「注意だけして無愛想にしていたら美容師さんが萎縮してしまうかな」と考えて、できるだけ朗らかな雰囲気を心がけて美容師さんに少し話しかけた。
 明らかに必要不可欠ではない目立つ持ちものを褒めたり(目立たないものや仕事に必要不可欠なものだとそれに言及されたくない可能性があり、仕事に絶対に必要ではなくさらに目立っている持ちものなら言及されることを見越して持っている可能性があるのでそれを選んだ)、髪のケアに関するちょっと踏み込んだ質問をして答えてもらい「とても参考になりました」とお礼を言ったり、とにかく「敵ではありません」という意思表示をすることにした。
 しかしながら、そうしていると「鼻すすりも許された」と思いはじめたのか、この美容師さんはまた鼻をすすりはじめた。
 一度だけなら仕方がないけれど何度もすすったので、「鼻をかんできていいですよ」と言った。すると「すみません〜寒暖差で〜一度気になると気になりますよね〜」と言いつつ鼻をかみに行かずその後ずっとすすっていた。
 「一度気になると、とかじゃなくて……(マナー違反ですけど)」と言ったけど、伝わらなかった。
 やっぱり鼻をすする方は「気になる方が変」と思っているんだなと再認識した。

 鼻をすする音に関しては、すする音を嫌がる人はいても「鼻をすする音を聞かせて!」と懇願したり「すする音を出せよ!」と怒ったりする人はよほど特殊な場合でない限りいないのだから、すすらない方が良いに決まっている。だからすすらないように努力するべき。私はそう考えているし、こういう風に考えない人間性や精神性が私は嫌い。
 私は鼻すすりの「音」だけが嫌なのではなくて、「『その言動に合理性や正当性があるか?』と考えてから言動を選択をする」ということをしない頭の悪さや自己中さが嫌いなのだ。
 
ミソフォニア(音嫌悪症)や聴覚過敏というより、「鼻をすする自分」に違和感を持たない人間の知能や思考力や自己管理能力の低さが嫌いなのだ。

 だから私は「鼻すすり」だけが嫌いなのではない。
 望まない受動喫煙を生じさせる可能性のある
場所でタバコを吸う喫煙者、
 食べる時に口を開けてクチャクチャと音を立てる人(クチャラー)、
 ホットドリンクやパスタ等をすする人、
 エスカレーターを歩いて上り下りする人、
 横断歩道青信号点滅で渡りはじめる人、
 車道の黄信号で止まらない運転手、
 我が物顔で歩道を走る自転車乗り、
 道路で子どもを遊ばせる親、
 じっとしていられなかったり大声を出してしまったりする年齢の子どもをどこにでも連れ回す親、
 駅や商業施設等の「右側通行/左側通行」の表示もしくはそれと同じ意味を持つ矢印を無視して逆行してくる人、
 電車やバスの中で、自分の体や荷物が他人に当たっても荷物の持ち方や自分の立ち位置を改めない人、
 電車やバスのシートの上で他人と隣り合わせになった時に、脇をしめずに体を当ててきたり、荷物をあさって体を当ててきたりする人、
 電車やバスのシートで脚を開いて座る人……などなど。
 こういう人全部が嫌いだし、同じレベルの知能や文明を持つ「人類」とは思えない。人間とはまた別の下等生物にしか見えない。

 「無くて七癖」と言うし、私も完璧な人間ではないから、私も足りていない部分はあると思う。
 だからこそ、自分が指摘された時は、その指摘がただの感情的な人格否定とかでなく正当性のあるものである限り、「私が間違っていました。申し訳ございません。以後改めます」と謝罪して、その言葉を守る努力を本気でしようと決めている。
 言葉だけでそう言って同じ「ダメなこと」を繰り返す人も私は許せない。「以後気をつけます/以後改めます」と言ったなら、その言葉を守る努力を全力でするべきだ。そうでないならただの嘘つき・詐欺師だ。

 「自衛しろ」 と言われるから、私は外に出る時は必ずAirPods Proを携えている。しかしながら、そのノイズキャンセリング機能をONにしていても、鼻すすりの音が聞こえてくることは非常に多い。
 こちらは「黙って耐える努力」も「できるだけ他人がいる場に行かない努力」も「自衛する努力」もしているのに、なぜ何の努力もせずに鼻をすすっている人達に「お前がおかしい」「お前の努力が足りない」と言われないといけないのだろうか。
 
 私のこの姿勢を「不寛容だ」と言う人も絶対に出てくるだろうが、鼻すすりをする人は「鼻すすりの音を嫌がる人」の存在を否定しているわけで、そちらの方がよっぽど不寛容だと私は思う。
 「鼻すすりの音を嫌がる人」の存在を想定しない、存在は認めたとしても「嫌がる方が悪い」「嫌なら家にこもってろ」などと、その場に存在することを否定する。その方がよほど不寛容ではないか?

 鼻をすするのは、本人の体にとっても良くない。良くない理由はいろいろあるらしいけれど、深く考えなくたって、体が外に排出しようとしているものを体内に取り込むということが体に良いはずがないというのはすぐにわかるはず。

 チック症・トゥレット症候群の人もいる!と言う人も出てくるだろうが、そういったものでも認知行動療法等で改善されるらしい。認知行動療法に限らずあらゆる治療法に本気で取り組んだ上でどうしても改善されないというのならある程度大目に見るが、治療もせずに「病気だから仕方ない!」と開き直っている人がほとんどなのではないか?とりあえず鼻すすりをする人は、耳鼻咽喉科と心療内科あるいは精神科(+必要であれば脳関係の診療科)に行って本気で治療に取り組んで「自分が病気なのだ」と認識するべきである。

 それに、「気にする方が病気だ」と言ってこちらをミソフォニアや聴覚過敏ということにしチック症やトゥレット症候群の人に寛容であれと言うならば、ミソフォニアや聴覚過敏にも寛容でなければおかしい。

 結局「気にする方がおかしい」という主張は突き詰めれば突き詰めるほど矛盾だらけになるので、やはりそちらが間違っていると私は確信している。

 正しい人が生きやすくなる社会になってほしい。

-miinyan-

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