コニシ木の子の異世界転生【創作大賞感想】
こちらの創作大賞感想を書いていく。
コニシ木の子は魅せる男だ。
魅力が詰まりすぎて老若男女問わず寄ってくる。
そんなコニシさんの恩人。
いったいどんな人物なのか。
#どうでもいいか
とは、ならなかった。
このエッセイは、物忘れという極ありふれた日常の出来事で始まる。
あぁ、あるある、私も同じようなこと。
そんな思いで読んでいた。
でも、内容はそんな甘いもんじゃなかった。
『自分を客観的に見ること』
そんなの誰でもやろうと思えばできる。
私は今までそう思っていた。
コニシ木の子は違った。
見るだけでは終わらなかった。
見えた自分と対峙し始めた。
衝撃的だった。
そんなこと考えた事ないし、そんな人見たこともない。
この人、そろそろ異世界転生でも始めるのかと思った。(路地裏の創始者は伊達ではない)
面白すぎて先が気になった。
そしてここで、一つの相関関係が生まれる。
忘れた事を思い出そうとしている日常コニシ
VS
思い出そうとしている日常コニシを、まだまだ楽しんでいたい非日常コニシ である。
そんな必死に抗おうとする人、たぶんこの世にはいない(笑)
さすが路地裏の創始者コニシ木の子だ。
でも私は思った。
私の場合はどうなるのか。
コニシさんは初体験と言っていた。
私は…日常茶飯事だった。
コニシさんがこの次に忘れてしまった自分とまた出会うためには、もう一度何かを忘れるという条件が必要になる。そんな事は滅多にないから、コニシさんはこの機会を惜しんで抗っているのだ。
しかし、私にとっては『忘れていることを思い出そうとしている自分』が日常的に存在している。
それはADHDという特性もある。
とっちらかった頭は、記憶をしまった場所をすぐに忘れる。だから生活の大半が、頭の中で何か忘れている記憶を取り戻そうとしている状態となっている。
私の頭は、ほぼ毎日
「あ〜なんだったっけ。なんか忘れてる気がするんだよな。何かやらなきゃいけなくて、何かやろうとしてたのに…」となっている。
いつでもそんな自分に出会えるのだ。
いつもの事すぎて、そんな自分と対峙するなんて考えたこともなかった。そんな状況を楽しもうなんて考えたことなかった。
このエッセイは一種のライフハックだと思った。
日常を楽しむ、人生を豊かにするコツが沢山詰まっていると思った。
駄菓子菓子、話はこれだけでは終わらない。それがコニシ木の子だ。
コニシさんはこの後、異世界転生を果たす。
ここまでの話で、日常コニシVS非日常コニシの激闘の末、頭を使いすぎたコニシさんは自分の体の使い方が分からなくなっていた。
「歩き方が分からない」
この体験はコニシさんの中にある別の記憶の扉を開けた。
その記憶の扉の先こそ、まさに異世界なのである。
それは過去のある日。コニシさんが、ぎっくり腰になった時の事だ。
ここからのコニシさんの話も面白い。
今度は頭ではなく体が不自由になる。
いつも通りに動きたい日常コニシ
VS
思うように動けない非日常コニシ である。
ここでコニシさんは帰宅の際に、かなりの苦労を強いられるのだが、その苦労にも共感と笑いがある。そしてついに、タイトルにもある『恩人』と出会うこととなる。
ぎっくり腰の痛みの中、どうにかして動きたいコニシさんが奮闘した末に口から出た言葉
「ハウアッ」
痛みで朦朧とするコニシさんは誰かに縋りたくなった。縋っていないと前には進めなかった。
そうして、コニシさんは自らの口から出てくる「ハウアー」を目の前にいる人物『ハウアーさん』として認知し始めた。
人は追い詰められると何でもいいから縋りたくなる。
多くの人はここで神様や仏様に縋るはずだ。
しかし、コニシさんは違う。
そんなものはとうの昔から信じちゃいない。(#知らんけど)
だから己の口から出る言葉に縋ったのかもしれない。
『言霊』コニシさんはこれを体現していると思った。
まさに異世界転生をしているのと同義に思えた。
これによりコニシさんは、目の前にいる『ハウアーさん』に導かれるように家の玄関へと向かった。この時、コニシさんは愛着の湧いた『ハウアーさん』の本名を考えるようになっていた。
そして、コニシさんは玄関の段差という最終局面を迎える。ここでコニシさんは渾身の力を振り絞り段差を上がった、『ベッケンハウアー』の叫びと共に。そう、『ハウアーさん』に名前をつけたのだ。それから、ここまで共にした恩人『ベッケンハウアー』にコニシさんは感謝と別れを告げた。
こうしてコニシさんは、本来思い出したかったこと(買うべき物)を思い出せないまま、恩人である『ベッケンハウアー』を思い出した。
しかし、それについて最後にコニシさんはこう話している。
私は最後のこの言葉に清々しさを感じた。
読み終わった後、なんだかまるで明るく輝く快晴の空や広大な海を見ているようだった。