居場所。(前編)【短編小説】
今回の小説は上記の短編小説『変わらないもの。』の続編となっております。
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片付いた部屋、パソコンに向かいキーを叩く音。ケンは来週のプレゼンに向けて資料をまとめていた。一区切りつき、わきへ置いていたコーヒーカップへ手を伸ばす。
「もうこんな時間か。」暮れてきた窓を見てぽつりと呟いた。ミサキを失ってからというもの、一人の時間が増えた。以前よりは前を向いて楽しめる事も増えたが、それでも何もしていない時間はどうしても余計な事を考えてしまう。そんな時、ケンは気を紛らわすように仕事に打ち込んでいた。
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「相澤くん、話したいことがあるから、ちょっといいかな。」上司はそういうと応接室の扉を開けた。ケンは言われるがまま部屋へ入り、上司と向かい合うように席へ着く。
「先日、東京本社から誰か良い人材がいれば本社へと声がかかった。突然の話で驚くと思うが、相澤くんの仕事ぶりを評価して、君を本社へ推薦しようと思っている。相澤くんは若さもあるし、結婚は…」そういうと上司は少し伺うようにケンの方を見る。
「いえ、まだ考えてはいません…」
ケンは上司の言葉に、ふとミサキの事を思い出してしまい、思わず視線が下を向く。軽く膝の上に置いていたはずの拳は、気づけばギュッと握りしめていた。
上司は、少し考えておいて欲しいと言い残し、応接室を訪ねてきた部下と共にその場を後にした。
家に帰り倒れ込むようにソファーへ横になる。
「転勤か…」今週末までには返事をしなければいけないが、突然のことで今は頭が回らない。嬉しい評価ではあったが、ケンは素直に喜べずにいた。
ケンは幼い頃から両親のことを知らず、祖母に育てられながら祖母と二人で暮らしてきた。中学入学後に祖母が他界してからは身寄りがなく施設で暮らした。親のいる相手と自分をくらべてしまい、どこか疎外感を抱いていたケンはなかなかクラスでは馴染めず一人で過ごすことが多かった。施設で暮らすようになってからも、人と距離を縮めることができないまま、ケンは自分が生きている意味が分からずにいた。
そんなケンの世界を変えてくれたのがミサキだった。しかし、ミサキはもうここにはいない。この町にケンが留まり続けるべき理由はもうどこにもなかった。
ケンは半ば勢いで東京へ転勤する事を決めた。それはケン自身が前へ進むためでもあった。翌日、ケンは上司へ転勤に応じる旨を伝えた。
これでこの町とはお別れだ。あの海も、あの店も、あの桜並木も、ミサキと訪れた場所へもう来る事はない。
引越しなど手続きも踏まえ、来月からの転勤となった。引越し業者を手配し、ケンは夜行バスで東京へ行くことにした。
それまでには部屋を片付けなければならない。用意されたダンボールに荷物を詰め込んでいく。必要最低限の荷物へするため選別して梱包しようとするが、ケンのその手は止まってばかりだった。
その一つ一つにミサキとの記憶が蘇り、思い出やあの頃の幸せを手放すようで苦しかった。ケンはこぼれ落ちる涙とともに、これまでの思い出が詰まった物へ別れを告げた。
空っぽになり大型家具だけが残る部屋を入口から見つめた。別れるという実感が少しずつケンに押し寄せる。そして、この暖かな日差しも空間も匂いも何もかもがなくなるという寂しさだけがケンの心に残った。
引越しの日が刻一刻と近く中で、ケンはある事を考えていた。それは、ミサキの母へ最後にもう一度会うこと。
以前、彼女の母がケンに言った「前に進んでほしい。」その言葉が今もケンの中に残っていた。ケンはこの町を出る前に彼女の母へ、自分のこれからのことを伝えなければと思っていた。
休日になりミサキの家を訪れ、インターホンを鳴らす。浮き足立つケンの気持ちとは裏腹に、彼女の母は笑顔でケンを迎え入れた。
「ケンくん、久しぶりね、今日はどうかしたの?」
「いえ、あの、来月…この町から引っ越すことにしました。それを伝えに…」
「そうだったのね、わざわざありがとう。」
「あと、これを…」ケンは紙袋に入った物を渡した。
「これは…?」
「ミサキが好きだった和菓子です。お母さんにもお父さんにも色々とお世話なったので…」
「ありがとうケンくん、ミサキもきっと喜ぶわ。そうだ、せっかくなら最後にケンくんから渡してあげて。」
そう言うと彼女の母は紙袋をケンへ手渡し、玄関の扉を開けた。
あの頃と変わらず笑顔のミサキが仏壇には居た。紙袋を仏壇の傍にそっと置く。手を合わせ、線香の煙とともに静かに思いを告げる。
前に進むためにもこの町を出ること、これまでの悔いや感謝、思い浮かぶ限りのことをミサキへ伝えた。
「ありがとうございました。」
振り返り彼女の母へ頭を下げる。
「こちらこそ。ケンくんが前に進めたみたいで良かった。」
「色々とご心配おかけしました。」
「いいのよ、頑張って、応援してる。」
そう優しく微笑む彼女の母に感謝を伝え、ケンは彼女の家を出た。
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引越しの日。日中に部屋の引渡し作業を済ませ、夜行バスまでの残りの時間をケンは思い出の場所で過ごした。日が沈み始め、眩しいほどの夕焼けが水面を輝かせる。
ケンは半ば強引に前に進もうとする自分に対して、まだ前向きになれず葛藤していた。
このままこの家とこの町を出ることは、なんだかミサキの存在を捨てていくような、消しているような気がして、本当にこれで良かったのかとケンは迷いを拭いきれずにいた。ケンにとって、それはまるで閏年以外の命日のない年と自分が同じことをしているようで、そんな後ろめたさがケンを襲った。夜行バスの時間が近づくにつれ、ケンの心の葛藤は増すばかりだった。
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21時前、夜行バスのターミナルにケンはいた。荷物を抱え乗車を待つ人の列に並ぶ。乗車時刻になり、バスの乗務員へ荷物を渡し終えた他の乗客が次々とバスへ乗り込む中、ケンは気が進まずバスの入口に足をかけた所で立ち止まってしまう。
「大丈夫ですか?」と後ろの男性から声をかけられ、我に返ったケンは、すみませんと軽く頭を下げバスへ乗り込んだ。
広々としたバスの中、リクライニングシートを倒してゆったりと眠れるくらいの空間は充分に整っていたが、ケンは自分の中に残ったままの悩みに苛まれ、なかなか眠れずにいた。
1つ目のサービスエリアへ到着し、ケンは気を紛らわすためバスの外へ出た。バスの乗客達は食べ物を買ったり、トイレへ行ったりと、それぞれの時間を過ごしている。ケンもコーヒーを片手に近くのベンチへ座った。街頭の明かりに微かに照らされながら、小さく溜め息をつく。ケンが虚ろな目で俯いていると、1人の男性がケンの元へ近づいてきた。
続.
後編はこちら。
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メインの小説はどうでしたか。
この後にデザートでもいかがですか。
ということで、私がこれを書くに至った経緯や意図、その時の思いや感情などを知りたいと思った方はぜひ以下リンク先の『プロットと推敲。【デザート】』を読んでみてください。