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山根先生から学ぶ『際の美学』
山根あきら先生は以前、このような本を手掛けている。
とても興味深い『際』についてだ。
私にとっての際。
いったいどんな境い目が私を魅了するだろうか。
私は以前、山根先生の青ブラ文学部のお題『暗暗裏』にて、『際』に通ずる話を書いている。
私が『際』好きである事がバレてしまった一作だ。
際好き仲間が見つかるかもしれないから、ここでも晒しておく(ぇ🙄)
さて、私のことは置いといて、山根先生のみんフォトのイラストを調べてみてほしい。または、山根先生のnoteのイラスト記事をみてほしい。それはとても際どい。
ここで、山根先生のイラストのすごさを語ろうと思う。
noteの街では(・Y・)をそのまま描いてしまうと( _˙꒳˙ )_バンッされる可能性がある。(知らんけど)
しかし、山根先生の(・Y・)は、( _˙꒳˙ )_バンッされるようなその辺の(・Y・)とは訳が違う。
ただエロさを感じてしまうだけの(・Y・)ではない。
もはや『芸術の域』なのである。
ここがすごい。
もう一度言うが、ただエロさを感じるわけではないのである。
エロさと共に美しさがある。
そう、山根先生の描く(・Y・)は芸術として昇華されているのだ。
(あくまで私個人の意見です)
まさに『際の美学』
私はあの『際』の域には、まだ達することができない。
表現しようとしても、いくら『これは芸術です』と言ったところで、どうしても下心が見えてしまう。
そこを言及されてしまうと魔法の言葉で誤魔化す以外、私には為す術がない。
なぜ山根先生の表現は芸術的なのに
私が表現しようとするとただのエロオヤジになってしまうのか。
あのイラストのタッチに秘密があるのかもしれない。
リアリティを持たせすぎず、しかし、その魅力が伝わる際どさ。
表情やポージング、画角、そして色使い。こういった細かい表現も大切なのかもしれない。
全ての要素が絶妙に噛み合って、山根先生の作品は芸術として成り立っているのかもしれない。
エロと芸術の境い目
『際の美学』
魅力的で難しい。
表現として、私のこれからの課題だ。
山根さん、すみません、記事引用しました。
もしダメな時は教えてくださいm(_ _)m
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