生きていければ大丈夫さ。
最近よく思うことがある。
『みんなの話についていけない』
だからといって、すごく困っているわけではないが、少し劣等感を感じる。
話がついていけないこと自体については特に何も思わない。じゃあ、何に劣等感を感じているのか。
それは記憶力と視野の狭さだ。
同じ職場で働いているはずなのに、周りは気づけている違和感に私だけ気づけない。周りは知っている事を私だけ覚えていない、または思い出すのに時間がかかる。
例えば、仕事中にすごく意味不明で変な言葉を大声で話している客がいたとする。みんなは変な人がいたねと、後でその話題で盛り上がっている。だけど私だけ話題について行けない。まるでその瞬間だけ異世界に飛ばされていたのではないかと思えるほど、すっぽりと記憶が抜けている。私の世界には1秒たりとも、そんな変な人間が存在した記憶はないのだ。みんなそれぞれ違う仕事をしながら同じ空間にいたはずだよな。…😇
これを聞くと、無駄に敏感じゃなくて良いじゃん、と思うかもしれない。しかし、全く良くない。むしろ鈍感すぎて頭を抱えるレベルだ。
あからさまに誰もが気づける変な人間にすら気づけないのに、ちょっとした間違いや違和感に気づけるわけがない。
そう、大問題だ。いや、今までもずっと大問題だった。その問題には気づいていたし、何とかしようとして色々試して無理で諦めた。しかし、最近よりヤバいなと感じている。
『いつ』『どこで』『誰が』『どうした』は基本的に記憶できていない。知っている・覚えているはずのことも思い出せない。つまり忘れるのだ。
それが数日前のことなら、まだ許せるかもしれないし、私の年齢がもっと上なら納得できるのかもしれない。
しかし、私はまだ20代後半。それなのに直近、数時間前の事すらパッと思い出せない。
例えば、ニンジン🥕を10本スライスする業務があったとして、職員Aが10本スライスしたの知っている(声もかけられたし、見ていた)のに、数時間後にはその事を忘れ、「あ、ニンジン🥕10本スライスしなきゃだった」と思い、ニンジンをスライスしようとする。そして、職員Bに「え?」と言われて、私も「え?」となり、色々と考えを巡らせてようやく気づく。『あ、そうだ、さっきAがスライスしてくれたんだった』と。…😇
これらの事がたまにあるくらいならいいが、私の場合は日常茶飯事を超えた高確率で起こる。周りの人とは頻度が桁違いなのだと思う。
他にも日常に支障をきたしている問題は色々ある。
相変わらずコンロの火を消し忘れていたり、薬を飲み忘れたり、物をなくしたり、予定をダブルブッキングさせたり。
これは私がADHDだからどうにもできないのか、どうにもできないからADHDという診断が下ったのか。
卵が先か鶏が先か🥚🐔
#どうでもいいか
日々こんな感じで生きている。よく生きているなと思う。そして、私がそういう人間だと周りも分かっている。と、同時に呆れられてもいる😇
つい先日、母にも言われた。
「あなた、よくそれでその職業になれたよね」と。
褒められているのか貶されているのか分からない。
だけど、私もそう思う😂
それぞれ違った生きずらさを抱えてると思う。
まぁ、そんな中でも楽しい事や幸せな事もあるからこうして生きていける。
生きずらさを感じている皆様、お疲れ様です。
今年もよく頑張りました( ˘ω˘ )
来年も何とか生きていきましょう( -`ω-)👍🏻✨️