共産主義は「ユートピア思想」ではなく「目の前の現実」だった(政治)
共産主義について勘違いしている人が多いため書く。
①共産主義はユートピア思想ではない
「共産主義」という言葉について、現代では「失敗したユートピア思想」のように語られることが多い。もっと嘲笑的に「お花畑」という言い方をされることもある。
個人的には共産主義というのは役割を終えたと思うが、共産主義について再評価していきたい。
再評価のために重要なのは「当時の労働者の気持ちになること」だったりする。
②労働基準法のない社会
共産主義は産業革命後の19世紀中盤から後半、カール・マルクスの一連の著作により始まった。
共産主義の価値を理解するには、この当時の労働者の状況を知る必要がある。
まず、あなたは労働基準法のない社会を想像できるだろうか。
最低賃金の制約も、1日8時間労働の制限も、週休2日のルールもない社会である。
労働条件に関する最低限のラインがなければ、労働者は、生きるのに最低限の賃金で、生きるのに最低限の休暇だけを与えられ、働かされ続けることになる。
そしてこれは「契約の自由」の元、合法的に行うことができる。
これが、これこそが当時の労働者が直面していた社会である。
まさしくカール・マルクスが言う「人間が疎外されている」状況である。
③中世の労働との違い
とは言っても、近代以前の、たとえば中世の社会においても労働条件のルールを決めた法律などというものはなかったはずだ。
中世の労働者と産業革命以後の労働者はどのように違うのか、そこが明確にならなければ産業革命以後の労働者のみが人間疎外に陥っているとは言えない。
④「分業」される仕事
中世以前の労働と産業革命後の仕事の最も大きな違いは分業の度合いである。
中世以前の仕事においても過酷な労働条件を強いられることはあった。親方の家に住み込みで弟子入りし、私的な時間なく働いて仕事を覚える。「丁稚奉公」である。中世にあったのは小規模なビジネスである。丁稚奉公の後、仕事を覚えたらいずれ独立して自分が親方になることができる。
しかし産業革命以後、労働者は同じ作業をひたすら繰り返すようになった。アダム・スミスのいう「分業」である。分業により生産効率は格段に向上する。これは経営者のメリットである。労働者は非常に狭い仕事のノウハウしか身につかず、ゆえに独立することは不可能になり、永久に過酷労働をすることになるのである。
⑤怒れる労働者
生産手段(工場および設備)を持っている人間は産業革命と分業のメリットを最大限に享受する一方で、それを持たない労働者は永久に過酷労働を強いられる。
生産手段を持つ人間を産業資本家と言う。
そしてこの構図を打破するためには生産手段を共有化するしかないと労働者たちは考え、労働者は共産主義に傾倒して行くこととなった。
産業資本家と共産主義者との対立である。
(ここに「金融資本家」が登場しないことに注意が必要であるが今回は論じない)
⑥当時は普通選挙はなかった
ここで共産主義者は「暴力革命」「プロレタリアート独裁」という極端に過激な方針に突き進む。選挙を通じた政治的な手段に訴える道をなぜ取らなかったのか。
それはほとんどの国で「普通選挙」は成立していなかったからだ。
たとえば1900年時点において普通選挙を導入していた国はフランス、アメリカ、ドイツ、ブルガリアの4か国のみで、イギリスや日本も普通選挙ではなく制限選挙(納税額や身分によって投票権の有無が決まる)であった。
投票権が納税額や身分で決まるとなれば、経営者や資本家が政治的にも有利なのは明らかだった。
過酷な状況に追い込まれた労働者が選挙を通じて民主的に改善を模索する道は存在しなかったのである。
⑦革命 or Die
こうなると革命は目の前の現実でしかない。革命を起こすか、さもなくば死ぬか、それがすべての労働者の目の前の問題だったのである。
⑧「幽霊」を退治したのは
その後はご存知の通り、いくつかの国では共産革命が成功し、一定のプレゼンスを得たものの経済的には資本主義国の後塵を拝し、冷戦終結以後は多くの国が社会政治体制の修正を余儀なくされ、自由経済の導入に踏み切っている。
マルクスはエンゲルスとの共著『共産党宣言』の中でこう書いている。
「ヨーロッパを幽霊が徘徊している。共産主義という幽霊である。古いヨーロッパのすべての強国は、この幽霊を退治しようとして神聖な同盟を結んでいる。」
共産主義を退治したのは古くて神聖な同盟ではなく、新しい制度だった。
つまり普通選挙および最低賃金、労働時間の制限、法定休暇などの労働のルールであった。
そういう意味で現代の資本主義というのはマルクスの問題意識が一部導入された修正資本主義とも言うべきものである。マルクスの問題意識は資本主義の中に組み込まれている。
⑨自由契約化する労働
現代では自由な働き方として副業やフリーランスを選択する人々が増えている。
私には「制約のない自由契約」に回帰しているように見えるがどうだろうか。
また幽霊が出なければ良いのだが…