髪を伸ばすべきか
約5カ月ぶりに「通院日記?」を書いている。月1回のペースで通院は続いていて、単に書くのをサボっていただけだ。サボっているという表現は正しいのか。これを書くことに時間を使っていないのは、寧ろ良いことなのではないか。何か文章を書く機会を欲しているだけで、これを書くことで得るものはきっと無い。
5回の通院について綴ることは面倒だ。今の状況を簡単に書くくらいにして、最近の思いを記しておこうか。
割と良い意識の状態で生活が出来ている。少しづつ回復しているように思っている。サインバルタは50㎎になった。メイラックスは半錠への減量を経て、今は服用せずにいる。
結局、精神の問題から症状が出ているのであって、状況を前向きに捉えることは重要なのだろう。2月の受診で先生が言ってくれた。症状が酷く苦しい時期の頑張りを評価してあげて良いと。治った訳ではないが、その時期を乗り越えた経験は、社会に出てからも自分を支えてくれるだろうと。
そう思っていたいが、そう思えなくても、先生がそう言っているという事実が大切なのだ。物事を悪い方へと考える俺の中に、他人のものであってもそういう言葉が存在しているということが大きいのだ。それは、先生に限ったことではないし、病気の問題に限ったことでもない。
暫く通院日記を書いていなかったのは、他のことに悩んでいた(悩んでいる)からで、病気から意識を逸らして過ごす時間が長くなっていると考えれば間違いなく良いことだ。それが慣れとか諦めとかに依ったものであることも否定は出来ないが、確かに病気のこと以外に神経を使えるようになってきている。
「この経験は社会に出てからも支えになる」
仮に支えになるのだとして、先ず俺はどうやって社会に出るのか。
大学3年生になり、来月には22歳になる。一般的には、就職活動をする時期に入ったらしい。
自分の気持ちのどれに対しても覚悟が決まっていないせいで、何をするにしても、それが別の何かからの逃げであるように思える。
今を生きようとするせいで、近いうちに今を生きることが出来なくなるのだろうか。今、先を生きようとすれば、近い将来に今を生きることが出来るのだろうか。こんな二択でないことは分かっているが、俺は今、今を生きたくて、そうするのが良いような気がするのだ。「貯金なんかしてどうするんだ」と言っているようなものだろう。
こう考えているのも、覚悟、心の準備が出来ていないからで、そんな人間はとりあえず就活をしろという声が聞こえる。一度黙ってくれ。俺は今、幸せを感じることを覚えたところなんだ。知らなかったものと出会いながら生きているところなんだ。
「人間は、逃げるという生物の本能を否定している」といったような内容の文章を新聞で読んだ。投書だっただろうか。
何からは逃げるべきなのだろう。何からは逃げていいのだろう。