今回は単なる愚痴こぼし

5時〜6時にならないと眠くならないので仕方なく起きています。本当は眠るためのお薬があったらいいんだけど、いま妊婦の身ですでに抗不安薬を一錠飲んでいるから、これ以上は増やしたくない。

私はいま苦悩している。
それは、この子が私の元に生まれてきてどれだけ苦労するだろうか、嫌な思いをするだろうかということ。だったら産むなよと言われそうだが、驚くべきことにプチ不妊治療(?)をしてまで望んだ子どもだったのだ。
私と夫は、私の精神的なことがおそらく原因で「未完成婚」にほとんど近い状態だった。早い話が、「痛いのでレス」になってしまっていた。だから普通に生活していたら、子どもに恵まれることはなかったはずだ。
そこで私が試したいと夫に頼んだのが、「シリンジ法」というものだった(気になる方は検索してみてください。セルフ人工授精みたいなやつです)。
何回かの挑戦を外し、冬には吐くほどの生理痛を経験し、私はやっぱ不妊体質なのかもなと思った矢先、今年の春に授かったことが分かった。

しかしながら、精神障害持ちの私が子どもを産んで、いいのだろうか。この子の人生が必要以上に苦しいものにならないだろうかと、日々苦悩してしまっている。
私はもともと、反出生主義の考え方に肯定的だった。しかし妊婦となったいま、反出生主義者を名乗ることは無理だ。矛盾している。だから、「出生慎重派」くらいがちょうどいいだろうか。私はもともと、大人になったら結婚して子どもを持つという人生にさしたる異和をかかえずに生きてきた。だが高校から発達障害の2次障害が顕著になり、大学院進学ごろから日常生活にも支障が出るに及んで、徐々に「私は子どもをもたないほうがいい。生まれてくる子が不幸になる」と思うようになった。
同時に、結婚出産していく人を見て、ルサンチマンに近い感情もあった。「あぁ、あの人はかつて私がそうだったように(能天気にそう思えていた時のように)、結婚して子どもを持つのは当たり前という人なのかもしれないな。羨ましい。私も健康だったら、なんの悩みもなく(少なくとも子を持つことについて)それを決行できた可能性もあったのか」と思ったことは数しれない。
全ての子どもが生まれて不幸だとは言わないが、やはり親や周囲の大人の無理解のために不幸に育てられてしまう子どもや、私のように運悪く障害があって、しかもなかなか周囲に気がついてもらえず苦悩するような人間が必ず一部にはできてしまう。自分の経験からも、ひとが「生まれてくること」について肯定的にはなれない気持ちを数年間持ち続けていた。
新生児を見ると、「おめでとう」よりも、「君のこれからの人生が、できるだけ幸せに溢れ、できるだけ苦しみが少なく、平穏にすぎていきますように」と思った。
こうした経緯から、反出生主義者を名乗るまではいかなくても、出生そのものへの懐疑心があったことは確かだ。

それでも私は、夫と出会えて、いままでの人生が本当に報われたと感じている。だから、夫との間に子どもがいたらと思うようになった。
私は相当な田舎に生まれて、小学生のときは強い不安感から場面緘黙症になりいじめに遭って、先生からも冷たい言葉をかけられた。中学では成績がよかったので少しいい時代だった。場面緘黙症も頑張って克服した(後遺症はある。いまでも発話するのが怖い時がある)。高校のときに人間関係で悩み、気分障害を発症してしまった。鬱で寝込む中、少し調子がいい時に勉強をした。この勉強は、本来勉強が好きな私でもつらかった。根を詰めると息苦しくなった。でも(当時まだ診断がなかったが)発達障害の私にとってまだ人より「できる」と言えることは勉学くらいだったので、私はそこにしがみつきたかった。結果的に、地方の旧帝国大学に滑り込むことができた。そのあとわざわざ別の大学の大学院にも進んだが(日本で2番目とされる大学の大学院)、私が鬱状態の中やろうと決めた学問は、本当に自分がしたいことではなかったと気がついて、迷走し、結局修論を出すのに3年を要した。
高校時代から10年近く精神的不調を抱えて、それでも生きていくためには、学問で身を立てないと生きる糧がないと思って肩肘を張って生きてきたので、正直修士修了の段階で心身ともにボロボロだった。もう就労もできないし、博士課程の進学も無理だと思った。
修士課程の途中で出会った同じ大学院の夫と結婚することで、逃げるように私は社会からドロップアウトしたのだった。夫がアカデミックポストを得たので、引っ越し先で私は精神障害者として生きることを選んだ。障害者手帳(精神)を取得し、年金も申請して受給し始めた。
しかし、私の人生はこれで安泰、夫さえいればなんとかなるとは思わない。私はもっとなにかできるようになりたいといつも思っている。大学院の最後の年に、修論をかかえているにもかかわらず司書の資格を取りに2ヶ月ほど遠方に下宿したりした。その資格を生かすこともいまはできていない。
子どもが生まれたらもちろんしばらくはその子に愛着を形成するためにしっかり見ていてあげないといけないと思う。それでも、この子が少し大きくなれば、私が何もできないお母さんだったら、どう思うだろう。
私はなにか、すごく偉い人でなくても、なにか自分の領分を持って仕事をしている人が母親であるほうが、ずっと家にいてつまらなさそうな母親に比べてずっといいと思っている。子どもの精神保健にとって、そちらのほうが望ましいと思っている(もちろん、諸事情のため働いていない専業主婦の方を軽視しているわけではありません。家のことをプロのようにしっかりやれて、みんなの役に立って毎日充実している方は素敵です)。
私はいままで努力した(つもり)反動で疲れてしまったので、精神障害者としてどっぷりと3年ほどを過ごし、身も心も障害者になってしまい、自立心まで失ってしまっている。昔、私は立派な大人になって働けると思っていた。それがこの体たらくである。
もうすぐパラリンピックがある(無事にできるかはまだわからないが……)。身体障害者の人たちの競技だ。彼らはハンデがある中でも、すばらしいパフォーマンスを発揮している。知的障害者の人たちも、例えば就労支援を受けて、障害者枠で働いている人がいる。周りの人に愛されていて幸福な方もいるだろう。
そんななか、精神障害者として生きるとは、どういうことなのだろうかと考えている。障害者雇用では嫌厭され、見た目では障害者とわからないので誤解もされ、大きな自己不全感を抱えている場合が多いのではないだろうか。少なくとも私はそうなってしまっている。
私は今から生まれてくるだろう子の親にはなるわけだが、その子にはその子の人生があり、私は母になるからといって人生を降りるわけではない。大病をしなければ、これからあと50年は生きるだろう。その間の時間をどう生きるか、いま考えている。

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