病院の看護師をしていたら境界性人格障害(ボーダー)と診断された私②
病棟異動になる
私は3年目の冬に病棟の異動を告げられた。
外科系から内科への異動。移動先は病院の中でも屈指のきつい病棟。
心臓や呼吸器の病気の患者さんが入院しているところで、命と隣り合わせの病棟。
正直、異動は嫌だった。「私にはできない」「無理」「何で私が」というネガティブな気持ちしかなかった。
3年目の12月。ついに異動になった。
オリエンテーションの時から感じていたけど、モニターの音が常に響き、先生と看護師のやり取りもすごい。
急な12誘導、カウンターショック。その他に抗がん剤投与や心臓系の点滴。
雰囲気にのまれてしまい、何もできなかった。
12誘導とか分からなかったし、「カウンターショック!!」とか指示を出されても何も分からない。
そんな姿を見て1個下の後輩に馬鹿にされたのをすごく覚えている。
「そんなのもできないんだ」
けど私は人員としてカウントされているから夜勤にもすぐ入らなければならない状況。
初めての夜勤の日に、私はリストカットをした。安全機能が付いている顔そり用のカミソリで左の手首を何度も切った。
浅い傷しかできなかったけど、切ることで少し安心したような気がする。
そのまま夜勤に入った。手首には絆創膏を貼っていたような気がする。
異動によって心がゆがむ
その後、リストカットは続いた。
心が悲鳴を上げているのも分かるけど、
「こんなところでやめるわけにはいかない」
「旦那にも親にも迷惑をかけられない」
「自分の心が弱いんだ」
「情けない」
といった感情で何とか仕事に行き、その日を過ごすだけ。
看護師として終わってる。
今だから言えるけど、患者さんにとってすごく危ないことをしていた。
正常に考えられない状態でも身体は病院へ向かい、仕事をただこなすだけ。
どうやって心療内科を受診したのか覚えていない。
心療内科への受診
どうやって心療内科を受診したかは今でも思い出せない。
多分、師長がやばいと思って病院内の心療内科へ受診させたんだと思うけど、自分では「何で心療内科?」と思っていたような気がする。
心療内科の先生はすごく優しそうな人だった。
話を聞いてくれ、すぐに休職の診断書を書いてくれたと思う。
「うつ病・適応障害」が私に付けられた病名。
気持ちを落ち着かせる薬と睡眠薬を処方され、1か月くらい休職した。
休職中の私
その頃をよく覚えていないけど、実家に帰ったり、友達と会ったりしていた。
前の話に出てくる仲が良かった子とか、前の病棟で一緒だった先輩(40~50代)がご飯に連れ出してくれたり…。
その時は少し気がまぎれたけど、やっぱり仕事のことが離れない。
その都度リストカットをしていた。
リストカットって、最初はすごい浅い傷をつけるだけ。
傷をつけることで満足する。
でも、だんだん満足しなくなってくるから、よく切れるカミソリ(安全機能がついていないやつ)にして、深く深く切る。
血液が出るのを見ること、痛みで自分の気持ちを落ち着かせる。
心療内科での治療
リストカットをする度、先生に泣きながら報告する。
処置をしてもらって、「もう切らない」って決めて家に帰るのにすぐに手にするのはカミソリ。
新しいカミソリは切れ味がいいけど、何度も切っていると切れ味が悪くなるからすぐに新しいものに交換する。
薬を処方されても、内服しても何も変わらない。
「仕事をしない自分はダメな人間だ」「生きていても仕方ない」って思うのに、死のうとはしない。
リストカットって、自分を痛めつけることで自分を罰していると私は思っている。
だから今でもSNSでリストカットをしている人を見ると、気持ちがすごく分かる。
でもその人の気持ちはその人しか分からないから、安易に「気持ち分かります」とは言わない。
自分だったら言われて嫌だし、自分の気持ちを100%当てられる人はいないから。
それは心療内科でも同じ。症状を緩和しようとして薬を出しても、根本は解決されないから。
ここが私にとってとても大事なところ。
仕事への復帰
1か月くらい休職して、異動前の病棟に戻ることになった。
けど長続きはしなかった。仕事に行くだけで涙が出て、カンファレンス室で泣いて、仕事ができない。
周りの人の目が気になって、怖くて、出勤してもそのまま退勤することがほとんどだった。
病棟の人たちはすごく嫌だったと思うし、腫れ物を扱うような気持ちでいたと思う。
結局復帰して10日くらいで退職することになった。
ちょうどその時、実家のある街への引っ越しが決まり、家族に手伝ってもらいながら引っ越しをした。
引っ越し作業中、私は布団にくるまっているだけでなにもできなかった。
そしてそのまま心療内科から精神の専門病院へ紹介状が出た。
専門病院への受診
引っ越した街には精神の専門病院がいくつかある。
その中の1つに紹介状が出て、受診した。
担当医は50代の女医。すごく嫌い。
最初は心理テストとかいろいろな検査をして、カウンセリングも開始になってしばらく週1回の受診をしていた。
検査結果が揃って、診断されたのは「境界性人格障害」。いわゆるボーダーと呼ばれるもの。
人格障害という言葉にショックを受けたのと同時に、自分の今までの行動や気持ちがこれに関係していることが分かってほんの少しだけ良かったと感じた。
人格障害って病気じゃない。育ってきた環境とかによって考え方が歪んだり、間違った行動をしたりすること。
私は境界性人格障害と一緒に、アダルトチルドレン(AC)の診断も同時にされた。
診断されてから
境界性人格障害はその名の通り、人格障害(パーソナリティ障害)である。
育ってきた環境などが影響して、考え方が歪むこと。そしてうつなどの症状が出ることが多いとされている。
私は小学生の頃に両親が離婚し、母親に育てられた。父親っ子だった私にとってこの出来事はかなり大きく、その後の人生を大きく変えたような気がする。