季節の博物誌 1 台風とアキアカネ
八月の台風が山の町を直撃し、二日間に渡って激しい雨と風が暴れ回った。夕方、予報よりも早く風雨が止み、空が明るくなったので、思い切って外に出た。
山道を行くと、谷川の水が濁流となってごうごうと水煙を上げてすごい早さで流れている。いつも見る澄んだ穏やかな流れとは全く違う荒々しい姿である。山の斜面から普段はちょろちょろと流れているだけの湧き水が、今は小さな滝のようになって雨水を吐き出していた。道には風にちぎられた小枝や木の葉が散らばり、大雨に流された小石がアスファルトのあちこちに無数に転がっている。山の木が何本もなぎ倒された数年前の台風の時ほどではないが、台風の爪痕は生々しく辺りに残っていた。
気がつくと目の前の空中を音もなく横切るものがある。アキアカネの群れだ。二十匹くらいはいる。道いっぱいに広がって、まだ曇った、しかし夕方の光を透かして明るむ空の下を、穏やかさが戻った空を喜ぶように飛び交ったり、宙で静止して浮かんでいる。
子供の頃、何度もアキアカネを捕まえて遊んだ。手のひらで包みこむとパタパタと羽を震わせた感触を指が覚えている。空気のように軽い体と、握りしめただけで壊れてしまう薄い羽で、複雑な飛行が自由自在にできることが不思議だった。今もあの時の不思議さのまま目の前を飛び交っている。それにしても嵐の間、彼らはどうやって身を守っていたのだろう。木の葉の裏側に振り落とされないようにしがみついていたのか。それとも橋の下に固まって身を潜めて風雨をやりすごしたのか。自然が私に、台風という最も暴力的な面と、アキアカネという最も繊細な面の両方を見せてくれたのだと思った。その繊細さには、意外なしなやかさ、強さが宿っている。
いつの間にか空気の匂いはすでに夏のものではなくなっていた。蜻蛉たちが山にいち早く秋の気配を連れて来たのだった。
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