6/6「うたの日」選評

題『シーツ』
夢でさへ会へないひとだ 六月の朝のひかりにシーツを剥がす
/桔梗

情念と行為が一字空けで並べられた歌で、わかりやすい構成。決して会うことのできないひとのことを「夢でさへ会へない」とするのも、斬新さには欠けるが手堅い表現。いいと思ったのは、最後「シーツを剥がす」で締めることで、「六月の朝のひかり」に出てしまいがちな押し付けがましさのようなものを消すことに成功している点。ひかりを浴びて眩しいシーツやそのひかりではなく、最終的に「剥がす」ことにフォーカスを当てることでバランスが保たれており、前半の情念の説得力を担保することにもなっている。派手さはないが、エモーショナルな情景を淡々と描写する技術を必要とする歌だと思う。(森)

題『公』
ハチ公が思ったよりも小さくてかたかた世界の組み変わる音
/あおきぼたん

待ち合わせに使われたりするハチ公の像。僕も実際に見たときに、なんだこんなに小さかったのかと思いました。ハチ公という不思議な名前や音感と、その功績(?)からもっと大きいものだと想像していたから。でも考えればもともとハチ公はふつうに犬で、そんなに大きいはずもなく。/触れられないもの、知っているけど遠くにあるようなものは、実際よりも違う形で想像していることがあります。勝手に期待したり低く見積もったり。この歌の主体は、想像と違う!と思っている訳ですが、これは現実とは違う想像をしてしまっていた、ということでもあります。/「かたかた」という修飾が面白かったです。ロボットが、正しい現実を運んで、主体の脳内の想像と入れ替えているように思えました。ただ変わるのでなく「組み変わる」のもそれっぽいと思います。この歌自体要素や発想もそこまで新しいものではないですが、主体の力の抜け感、素朴さは「かたかた」が息づかせているのだろうと思います。/現実を知るということが、必ずしも得に働く訳では無いのだということを思い出させてくれる一首でした。でも、実際に知れてよかったということもあるから、「世界の組み変わる音」は暗くも明るくも取れるなと思います。(丸田)

題『来月の無茶題を考えてください』
名は体を現すものでおばちゃんが窓にすべらすたばこのこばこ
/PAで寝る

たばこのこばこ がおもしろい。でも駄洒落だ…… いやでも、短歌においていい歌の条件とされがちな言葉と言葉の繋がりの良さ、ってダジャレとあんまりかわらない気もしてくる。だって言葉同士のつながりが良ければいい短歌なら、たとえば堂園昌彦〈美しさのことを言えって冬の日の輝く針を差し出している〉の「冬の日」と「輝く針」の相性が良い=感覚の上でつながりを感じるように、「たばこ」と「こばこ」の駄洒落だって二つの言葉をつなぎとめているじゃないか……

話が逸れたので歌に戻ると、先述の駄洒落よりもこの歌の核は、「名は体を現すもので」と「おちゃんが~」がスムーズに文面上つながっていながらあまり意味を把握しづらいところにあると思う。名は体を現す、というのが「たばこ」「窓」「おばちゃん」のどれだとしてもいまいちよくわからない。でも一字あけ等なく繋がって書かれているので妙なねじれた空気がある。そういえば「こばこ」を「窓にすべらす」ってどういうことなんだろう…よくわからない。窓って垂直方向にはまってるからすべらせるというより落下する感じになるんでは…?でもいい歌だと思いました。(青松)

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