6/3「うたの日」選評

題『両』
両断のグレープフルーツ香り立つ あなたはもっと怒るべきです
/森下裕隆

「両断」は真っ二つにすること。真っ二つにされたグレープフルーツから、「あなた」の態度へと話をつなげる。「あなた」は怒ってしかるべき状態にあるにもかかわらず、作中主体からは煮えきらないように映る。きっと「怒る」というのは「両断」することなのだろう。それは、怒る対象を、であると同時に、自分の態度を、ということでもある。「あなた」はきっと「あなた」なりの仕方で世界と対峙していて、むやみに怒らないというのもその仕方の一つなのだろう。一方で作中主体も作中主体なりの仕方で世界と対峙していて、「あなたはもっと怒るべきです」がそれであろう。前者は大人びた成熟の雰囲気を、後者は若く未熟な雰囲気を感じさせる態度であり、そう考えると、この歌における「両断のグレープフルーツ」は作中主体なのだろうと思う。「あなたは」と述べながら、作中主体の若さや激しさを感じさせる表現が面白い。(森)

題『風』
好きだったひとのすべてを風として胸から離す帆船の夏
/天田銀河

細かいところで言葉に気配りが為されているのが好印象でした。好きだった全ての人、ではなく「ひとのすべて」。夏の帆船ではなく「帆船の夏」。この語順が突きぬけていく風を感じて涼しげです。読んでいって、単純な恋の話かと思えば、「胸から離す」あたりで、ん?と思い、「帆船」で答えが出て、なるほど帆船の話だったのかと瓦解しました。「好きだったひと」というのも、帆船目線で考えることが出来て、いままで航海を共にした人たちのことを帆船が思っているように。風として離すのもスムーズに流れます。言葉の要素がみなちょうど良く、離す、帆船、夏、の最後のa段の韻のリズムも心地よく。〈逃げなさい思い出達よ逃げなさい素敵な人が現れたのよ/ナイス害〉を思い出したりしました。(丸田)

題『冷』
指さきにつままれているひとかけの冷凍みかん近づいてくる
/雨虎俊寛

「近づいてくる」が生きている感じがする。なぜこのような第三者な言い方を選択しなければいけなかったか?そもそも誰の「指さき」なのだろう?自分のつまんでいる「冷凍みかん」なら、こうやって「近づいてくる」という描写をする必然性はあまりないだろう。なぜなら自分がつまんで持ってきているから。誰かほかの人がつまんでいるなら、「つままれているひとかけの冷凍みかん近づいてくる」よりも、「誰かが冷凍みかんを持ってこっちへ来る」の方が自然だ。なぜ「冷凍みかん」にフォーカスする必要があったのかよくわからない。し、冷凍みかんを誰かが持ってくることは多くないだろう。そうするとやっぱり、自分が持っているみかん?でも結局「近づいてくる」と書くのは不思議だ。その「不思議な」部分が、「近づいてくる」の説得力をぎりぎりで担保しているように思えた。

補足だが、近づいてきて、たぶんこの後食べるのにシリアスな事のように書いてるのもちょっとしたユーモアがあって良い。「さき」「づいてくる」のひらがな表記、完全に定型を守った韻律など、全体的な構成意識も地味ながら周到なのではないかと思った。(青松)

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