6/1「うたの日」選評
題『結婚』
舟だっておもう、からこそ、こわれたらきみは直ちに逃げてください
/山口綴り
今の時代にあった倫理の歌だと感じた。(「結婚」という題を含めて読むことになるが、)「結婚」を「舟」に喩えている。この喩自体さほどの強さを持っているわけではないが、「からこそ、」と続けるところにぐっと惹きつけられる。倫理が更新されていくのが目に見える形で理解でき、未来の自分がどうなってしまうかわからない時代において、真剣に「きみ」の幸福を願う姿勢を、「ずっと一緒にいてください」という形ではなく、「こわれたら」「直ちに逃げてください」として書くことは、現時点でとても倫理的だと思う。「こわれたら」が開いてあって未来の不確定な感じを出しているのに対して、「直ちに逃げて」の部分は閉じてあって真に迫ってくるような感じを伝えてくる点も良い。(森)
題『紫陽花』
やはらかな墓標と思ふあぢさゐは記憶のひとつひとつを閉ぢて
/桔梗
何かを墓や墓標と思う発想は少なくなくて、たとえば〈夕照はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで/仙波龍英〉を思い出します。それは、多く高かったり、硬かったりする点から墓との類似を見出して繋げるものだと思います。それがこの歌では、「あぢさゐ」を「やはらかな墓標」と捉える、ひとつ先の視線があり、その美しさに見惚れました。旧仮名の表記も、「閉ぢて」の着地も、多分に水気を感じ、光景が目に浮かびます。「ひとつひとつ」も、紫陽花を細かく映すようで、表現に無駄のない綺麗な歌です。ただ、その綺麗さのあまり、リアリティに欠けるというのも指摘できることですが、それこそ「あぢさゐ」らしくて良いなと思います。(丸田)
題『てるてる坊主』
てるてるを小箱に入れて持ち運ぶ伝説の晴れ女、参上!
/PAで寝る
おもしろい。
ずっと、何言ってるんだ……が続くけど、「伝説の晴れ女」までは、そういう変な人の「説明」で、短歌的にはよくある言い方だと思う。ところが最後急に「、参上!」が来ることで、「~晴れ女」は自分(参上って言ってるから、作中主体=参上って言ってる人=女)だった、ということに読みが移動するので、自分で自分を「てるてるを小箱に入れて持ち運ぶ」って描写してるのか……みたいな変なおもしろみが出てくる。
ただ、「参上!」まで含めた歌全体をナレーターが言ってるともいちおう理屈の上では取れる(し、じっさい作者がこの歌を発することはどうしてもナレーション的にならざるをえないんだけど)から、そこは読み手によって分かれるかもしれない。ただ個人的には上で書いたような「参上!」に急展開を読むような読み方で読みました。そもそも「てるてる坊主」を「てるてる」って略すのも、持ち運び方が「小箱に入れて」なのも、それぐらいで「伝説」って言ってるのも、一個一個がちょっとずつおもしろいですね。(青松)