【一首評】水平線をかすめるような七並べ後にも先にもこの一度だけ(五十子尚夏)
水平線をかすめるような七並べ後にも先にもこの一度だけ
/五十子尚夏「秋に消えゆくもの、冬に留まるもの」
七並べを始めるとき、7のトランプが縦一列に並ぶ。左には6、5、4と、右には8、9、10と、順番に世界は広がってゆく。
子どもの頃、初めて親と七並べで遊んだとき、AとKは隣接しているとして扱うルールを「地球まわり」という名前で教わった。だから七並べには、世界地図で西の端と東の端がくっつくような、そんなイメージがある。縦に並んだ7のトランプも、ある意味では水平線なのかもしれないと思う、とまでいうと自由に読みすぎだと思うけれど、そういう風なイメージの重なりを感じる。
何かが水平線をかすめるとは、どういうことをいうのか。ある物体が空と海との境目を、触れるか触れないか、ぎりぎりを狙って通り過ぎる。その物体は空の側にいるのか、海の側にいるのか。抽象的な言い方だから景は確定しないけれど、唯一わかるのは、主体が遠くにいるということだろう。
水平線を見るとき、自分はその水平線にいることができない。水平線は、遠くから見られることによってこの世界に現れる。この遠さが、この歌にとって大切だと思う。
この一回、七並べで遊んでいること、が水平線をかすめるように、遠くにある。あの一回、ではなく、この一回であることで、認識にねじれが生じて七並べの一回性がより強く感じられる。
七並べが、しちならべ、であって、ななならべ、でないことの嬉しさが、「水平線」「七並べ」「先」のs音の涼やかな響きの中にある。
(森)