6/4「うたの日」選評

題『哲学』
お別れの桜さらさら目を覚まし蛍となりぬ哲学の道
/袴田朱夏

初句二句の「お別れの桜さらさら」がいいと思う。続く「覚まし」とともに「さ」の音で心地よいリズムをつくっている。また、ア段の音を中心に進行しており、冒頭の「お別れ」に悲しい印象を残さないはたらきをしていていい。時間の経過/季節の移り変わりを風物の変化で表現することはよくあると思うが、桜が目を覚まして蛍になるというのは少し面白い。「哲学の道」の歌として、「お別れ」という内面的なテーマを最初に置きつつ内面に寄り切らない構成は「わざとらしさ」を除くやり方として理にかなっていると思えた。(かえってわざとらしく見える場合もあるとは思う。)(森)

題『失』
兄ほどの歳の知的な失業者と上野で会つて中野で別れた
/くわい

何かを言っているようで何も言っていない歌で、その何も無い感が、この文体と重なって魅力に思えました。兄が出てきたと思えば、ただの年齢の比較材料としてだけ引き出され、上野と中野もただ出来事が起きた場所として出されているだけ。知的な失業者と会って別れた、ただそれだけの景。それだけだからこそ、主体の認識が面白く感じられます。歳上、ではなく兄くらいの歳と感じるということは、おそらく兄を想起させるところがこの相手にはあったんでしょう。知的という要素もそうかもしれません。会って別れた場所も、思うところがあったんでしょう。新宿とか渋谷とか派手なところではない、ちょっと静かな感じ。会って何を話したとか、どんなことを思ったかとかが述べられないから、会って離れた事実だけが読者に残る。なのになんとなく懐かしい感じがして、妙に心に響く歌でした。(丸田)

題『煙草』
二十本あった煙草が四本になって答えはたたかうだった
/中牧正太

答えは「たたかう」だった…?ということは何か問いがあったのでしょうか?「二十四時間戦えますか」といえばひとむかし前の流行語ですが、それが「問い」だとするのはこの歌では無理があるでしょうか。とすると「答え」はもっと抽象的な観念、時間の経過による帰結、なのかもしれません。「ニ十本あった煙草が四本になって」が「答えはたたかうだった」に至る理由かのように書かれているのですが、何に使った煙草かは特に明かされておらず、ひと箱が全部残っていたのに「四本になっ」たことだけが書かれています。何と戦っているのか、どこで煙草を吸っているのか、なにもわからないですが、他に色々考えることがあるせいなのか、「16本減った」ことだけは何となく本当の事のような気がしてきます。(青松)

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