6/5「うたの日」選評
題『寂』
サイリウムあるだけ折って屋上にかつて遊園地だった記憶
/はね
「寂」と書かずに「寂」を伝えることを試みている点がまず好印象。その上で、「屋上に」の「に」がいいと思う。「は」や「で」ではなく「に」としていることで、「屋上」を対象として尊重するような思いが感じられる。屋上の昔の賑わいを偲ぶ行為として「サイリウム」を折る。生活の記憶の中の「屋上」はきっと作中主体よりも大きくて、しかし今の「屋上」は(作中主体に比べて)小さい。この規模感を伝えるのに「サイリウム」を折るのは、生活の中で出来る範囲で、という小市民感を演出するいい選択だと思う。「遊園地」の句跨りがきれいにきまっている点もいい。(森)
題『寂』
手のひらでカップアイスを温める 気持ちを上手く伝えられない
/中嶋港人
上の句と下の句で切れて、行為+心情の分かりやすい歌だと思います。カップアイスは最初固いから、手の体温で少し外側を緩くして、ちょうど良くして食べる。それと、気持ちが上手く伝えられないことが取り合わされる。構造は分かりやすいものの、意外とこの二つの結びつきが見えなくて、少し悩みました。外側から緩めていく、熱が中心まで伝わることは無いことから、大切な気持ちより表面しか相手に届かない、ということなのか。カップアイスの冷たさのように、自分のなかに寂しさがあって、手のひらで温めるようにあなたにも温められたいけれど、そうして欲しいとは伝えられない、ということなのか。一字空きで主体がぼんやり考えている感覚が出て、このあっさりしているものの、素朴な気持ちがちゃんと出ている歌で、良いなと思いました。ただ、「気持ちが上手く伝えられない」という複雑な心境に対して、歌の構造や要素が簡単で、定型にもぴったりはまっているので、スムーズすぎて下の句に重心を置いて読むことが難しくもありました。伝えられないことが主体にどんな感情をもって存在しているかが、そのスムーズさで見えなくなるような。でも、伝えたいことは伝えられないけど、「伝えられない」ということはすぐに言葉に出来る、ようなものも読み取れて、これはこれで最適なのだろうとも思いました。(丸田)
題『自殺』
ゆつくりの自死と思へばわたくしの生活圏に吹くみなみかぜ
/水没
「ゆつくりの自死」というのは「普通の生活=緩慢な自死」ということだととった。「生活圏」と「みなみかぜ」という言葉のあっせんが良い。たぶん主体は今すこし気持ちが下がっているんだろうけど、そこは「みなみかぜ」が吹く。「みなみかぜ」は夏っぽい感じがして、それは死に対して希望的なのか、アイロニーのようなのか、どれでもないのか、読みが広がっていく。「生活圏」も、意味的には「みなみかぜ」が「吹く」わけだからパーソナルスペースみたいにとりたいんだけど、「生活圏」という言葉はより社会的なニュアンスがあってそれも、生活全体にみなみかぜが吹くようなイメージがあって「吹く」の効能がつよい。
全体的に言葉の配され方に安心感があってそこをよいと思った。それは既視感という意味でもありうるが…なんとなく吉田隼人の「忘却のための試論」を思わせる、たとえば〈おもひではたましひの襞 あなたからあつき風ふきつけてはためく〉…。また、「わたくしの」で一首の韻律に締まりが出ているのも見逃せない。(青松)