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過去の自分を許す

暑い・・・。北インドは完全に夏になった。

天気予報では、明日の最高気温は41℃だ。本格的な夏の始まりだが、家にはエアコンが無い。レンタルしたいが在庫が無いらしく、あまり物を持ちたくない私は、買うかどうか迷っている。もう迷っている場合ではないのだが。(笑)

さて、週末は家にいて、読みたかった本を読んだり、調べたかった事をネットで調べたり、友人とチャットする事が多い。今日も友人たちとのんびりチャットしていた。

友人のうちの一人は同じ高校で、その後、連絡を取らなくなったのだが、数年前に他の同級生を通じて(facebookで)再会し、連絡を取るようになった。

前にも少し書いた気がするが、彼女は元夫のDVが原因で離婚し、今は実家に戻って、息子と一緒に暮らしている。

本人は謙遜すると思うのだが、私はいつも彼女がくれる冷静な意見や鋭い洞察を頼りにしていて、悩みがあるとよく相談している。彼女の経験から得た知識や意見に、いつもとても助けられている。

実は、彼女にはかわいがっていたペットのわんこがいたそうなのだが、数年前に亡くなってしまっている。

詳しくは聞いていない(聞いていいのか迷ってしまい、詳しくは聞けていない)が、恐らくは元夫の暴力でケガをしたことが原因らしく、その後、わんこは具合が悪くなり、最終的に亡くなってしまったようだ。

どの様なレベルで、どのくらいの期間、具合が悪かったのかは分からない。彼女が自分から話したくなったら、その時はもちろん聞こうと思っている。

わんこの最期をどうしても受け入れられず、獣医さんは家に戻ることを勧めたが、入院させた結果、次の日に病院で無くなった、と言っていた。チャットの文面だけでも、彼女がどんなにそれを後悔しているのかは伝わって来る。

もう長くないのであれば、辛い薬や治療はやめて、家に連れてくればよかった。。

その時は、彼女も夫の暴力に耐え、小さな子供を抱えて必死だっただろうから、愛犬の死に向き合うのは辛すぎて「絶対治るんだ」と思ったとしても、誰も責められないが、

多分、彼女が誰よりも、彼女自身を責めているんだろうと思う。

人間、生きていれば色々な事があり、「どうしてあんなことしてしまったんだろう」と悔やんでも悔やみきれない事はあるものだと思う。

私にももちろんある。彼女とは少し種類が違って、私の場合は「どうして自分を大事にする決断をしなかったのだろう」と言うものだけど。20年近く経った今でも心のどこかで「どうしてあんなことしてしまったのだろう」と棘が刺さったように痛む時がまだある。

だけど、今考えると「バカな事したな」と思っても、それは成長して、落ち着いた環境にいる「今の自分」だから冷静に考えられることで、「その当時の自分」にとってはそれも必死で出した答えなのだから、それがその時のベストだったのだろうと、最近は思える様になってきた。

「息子が大きくなって家を出たら、犬とかと一緒に暮らしたいな」と言っているので、その傷も少しは癒えてきたのかな、と思うが、

「本当にかわいい子(わんこ)だったから、他の子(わんこ)でもいいと思えるようになったらかなあ」と言っているので、もう少しかかりそうだ。

彼女の傷は彼女が自分で癒し、そして時間が癒してくれるものだろうから、静かに見守るしかないのだが、

過去の私にも、過去の彼女にも、

「いいんだよ、その時必死に考えて出した答えなんだから、それで正解だったんだよ。」と言ってあげたいし、

これからも、機会があれば伝えていきたい。



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