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うつ病彼氏、「愛する」を考える。

Nちゃんへ

昨日は、僕の人生を救ってくれた三浦綾子さんの『道ありき(青春篇)』についてお話ししました。

『道ありき(青春篇)』を通して、三浦綾子さんに感銘を受けた点として、「自分がどんな状況でも人を喜ばすことを止めなかったこと」と「継続して創作することの大切さ」を挙げました。

他にも、この本は僕をして「愛する」ことについて考えさせてくれました。

Nちゃんにとって、愛するという事はどういう意味でしょうか?

僕は愛するという事をあんまり深く考えたことがありませんでした。

この本の中にも、人によって愛するの意味が違っているとの記載がありました。愛するという事は肉体的なこと、その人が生きていくことを思う事など。

僕は、Nちゃんを愛しています。

これに嘘偽りもありません。しかし、僕がNちゃんを愛していると言うとき、少し(というか多分に)自分主体で愛していると言う事が多いと思います。


僕がNちゃんを愛している。Nちゃんのことが愛おしいから、優しいから愛している、などなど、自分の気持ちの主張になってしまっています。

ただ、この本を読んで僕が気づいた「愛する」という事は、その人の今までの人生を尊重し、そしてこれからの幸せを願うということです。

その人の今までの人生を肯定・認識するであったり、これからの人生を応援するという行為が(僕が至上とし、生涯をかけて追い求めねばならない)「愛する」ことだという考えに至りました。

そう思うと、自分はあまり相手のことを思って愛しているといえていなかったなと反省しました

なんだか、愛について考えるのって難しいですよね。

愛と一言で言っても、恋人に向ける愛。家族に向ける愛。友達に向ける愛。街中でたまたまであった知らない人に向ける愛。など、愛には沢山の種類があります。その中には、自分主体の愛や他人を想う愛があります。

他にはどんなんがあるかな?

これから、もう少し、人を愛するという事を深く考えていこうと思います。

いま、自分に欠けているのは、上述の人を想って愛する事と、無償の愛です。この無償の愛も難しい。

自分はすごく打算的な性格なので、自分が善いことをしたら、相手も善いことをしてくれるだろうと思ってしまうし、それが当た当たり前だと刷り込まれています。

相手に何かしてもらったら、僕は必ずその相手に何かしようと思います。逆に、自分が相手から何かしたら、その相手から何かを貰おうと思います。だって貰わないと、自分のした意味がないと思ってしまいます。

でもそれって、愛のない考えだなと前から思っているのですが、なかなか治りません。だめだなあぁ、、、

まあ、こうやって、何回も愛そうと思って、やっぱりできなくてを繰り返していく内に、自然と「愛する」ことが身についてることを祈りながら、筆をおきたいと思います。

さいごに改めて、

Nちゃん、愛しています。

p.s.

アイキャッチ画像はFU(ベルリン大学)のUni Cafe別角度ver.です!

1ユーロでコップ一杯のコーヒーが飲めるUni Cafe。

 おしゃれなコップやエスプレッソ用のコップなど、たくさん種類がある中で、僕は毎回、一番大きなコップを探して、溢れるまでコーヒーを淹れていました。

付き合う前からこんな醜態を見せていた自分が恥ずかしいです。

今でも、その貧乏性は治っていませんが。。。