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三十代の頃を振り返る

※ヘッダー画像はなんとなく(笑)

昨年の5月に50才になりました。
永遠の若手と思っていた自分も
けっこうな年齢になったものだと、
今だに五十代の自分に慣れません(苦笑)

とは言え、
ここの場で経験してきたことを
書いた記事を俯瞰して見ると、
なかなかの経験値を積んできたもの
だと他人事のように感心する次第です。

三十代。
世間では働き盛りと言われる年代です。

そんな時に自分がして来たこと、
感じていたことなどを
備忘録がわりに書いてみたいと思います。

ビジネス面においては

このマガジンに書かれていることが
全てと言っても過言ではないので、
この記事では具体的な働き方ではなく、
主にマインド面でどんな三十代を
過ごしていたのかを振り返りたいと
思います。

■コンプレックスの塊だった30代前半

慢性的なお家の一大事だった当社。

自分が大学4年時に精神的に弱っていた
ことも相まって、
大学卒業後にストレートで家業に入る。

28才で結婚してからは、
荒田一貫楼という別法人の店も任せられて、
その店と会社本体で労働力として更に
消費されていると感じていました。

そのあたりの年齢のなると、
同級生(とくに同業の飲食系)の活躍の
噂話が聞こえるようになる。

○○が北野坂に出したイタリアンが行列
している。

△△が3店舗の居酒屋を経営している。

一代で身を起こした彼らと比べて
自分は親の手伝いで、
当時の借金額の大きさも相まって、
自分の将来に希望を持つこともなく、
一日中労働に明け暮れる日々。

何やってるんやろう・・・。

こんなことしててええんやろうか??

募る焦りと徒労感に苛まれる日々を長らく
過ごしていました。


■転機は荒田一貫楼をやめたこと

企業再建を試みる一策で、
別法人として立ち上げた荒田一貫楼
というお店でしたが、

当初の目論見のような方策は出来ないと、
早々に結論は出ていました。

解った時点で閉店すれば良いのですが、
このお店がいわゆる当社発祥の店という
ことで上手く進めることが出来ません。

うちの先代がその辺りにうるさい人間で、

発祥の店の灯を消すなどまかりならん!

的な言葉をよく使っていたり、

自分としても本体の給料とここからの給料、
妻と共働きだったので妻の給料含め、
世帯収入で約900万円。

年齢的には悪くないサラリーに甘えている
部分も大いにありました。

その頃のことを友人に今でも
いじられるのですが、

この頃の私は付き合いが悪いと有名でした。

友人に「飲みに行こう!」と
誘われても、

「店があるから止めとくわ・・・。」

と、つれない回答を繰り返すうちに
誰にも誘われなくなりました(苦笑)

ただ、新年会だけは出るようにしていて、
そこで1年ごとの近況報告をし合うという
長いスパンのルーティンがありました。

忘れもしない、
34才になる年の新年会でした。

大学を卒業して、
10年を少し過ぎた頃です。

集まるメンバーもそれぞれ葛藤を抱える
年代で近況報告でも仕事のことがメインに
なっていたと思います。

1人の友人がその年の元旦から
ブログを書き始めたという発言をしました。

税理士の資格を持つ彼、(当時勤め人)

自分はお金の知識の重要性を世間に知らせたい。

その思いをメインテーマにブログで発信していく
との熱い思いを語っていました。

当時の私はブログというサービスの存在は
知ってはいましたが、
近しい人で実際にやっている人は彼が初めて。

当然、読者登録をするに至りました。

最初は友人の私が言うのも何ですが、
見ていてこっちが照れるような文体の
ブログでしたが、

彼の発信する有益な情報に
反応する読者が増えていくのがコメント欄の
やり取り等で見て取れました。

ブログの黎明期だったこともあり、
税務系のブロガーの先駆けとして、
雑誌にも彼のサイトが掲載されるなど、
短期間で目覚ましい躍進をとげていることが
私の焦燥感に更に拍車をかけました。

以前の友人の噂話とかではなく、
ブログを通して彼がリアルな成功に向けて、
行動している様子を見ていると不思議なもので、
自分もひょっとしたら出来るのではないか?

言い換えれば、

もっと自由になれるんじゃないか?

という思いになって来ました。

彼が憧れていた著者のセミナーに参加。
懇親会の二次会まで行って、
その著者と夜が更けるまでサシでお酒を飲んでる
というような記事を見て、更に焦りを募らせる。

このままではいけないという心の種火に
彼の発信は大いに燃料をかけてくれました。

その思いが高鳴った34才の8月末日に
長らく(6年間)縛られていた荒田一貫楼の
閉店を決心したのでした。

先代に相談すれば反対されることは
解っていたので、
閉店する旨を先にお客様に告げてからの
強硬な事後報告となりました。

殴られるくらいの覚悟での報告でしたが、
私の意志が固いことを悟ってか、
いや事は散々聞かされましたが、
それ以上はありませんでした。

年収半減と引き換えに時間を得た
当時の私の判断は間違っていなかったと
今の自分が答え合わせになっている
ような気がします。

長くなったので今日はこのへんで。

(つづく)

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