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口に出したことはやらないと

けっこう好評な
私の周りの残念な人シリーズです(笑)

ちょうど⇧のシリーズを書いていて
思い出した今回のエピソードです。

高校時代に割と仲の良かった同級生
がいました。
仮にDくんとしておきます。

大学に入り、社会人になりたての頃も
それなりに仲良くしていました。

私が店に引きこもってからは少々疎遠にも
なっていましたが、
うすーく縁は繋がっていて、
年に1,2回は会っていたでしょうか?

それとは別に三十代シリーズ最初の章で
私を店から引きずり出してくれた
税理士の友人のお話しを書きました。

彼はその後順調に事業を成功させました。
彼をSくんとしておきます。

ちなみにDとSも高校はいっしょですが、
ほぼ接点がない関係性です。

ここまでが前提となるお話しです。

時系列的には三十代シリーズ最終章で
私が異業種交流会に参加し始めた頃です。

けっこう精力的に活動する自分が板に付いて
来た頃にくだんのDから連絡が入ります。

内容としては、
その頃Dが一念発起で始めたいことがあって、
ネットで「関西 〇〇(Dの興味の的)」
や「神戸市 〇〇」「灘区 ○○」で検索すると、
必ずSの事務所に行きつくとのこと。

ついては私にSへの橋渡しをしてほしい
との依頼でした。

高校時代のDはヤンチャなグループに所属
していたので、彼の評判は好き嫌いがはっきり
二分するタイプでした。

接点のなかったSは悪印象なのでは?
とも感じたのでDの方には
一応会いたい旨は伝えるけど、
会えるかどうかはS次第ということを伝えて
電話を一旦切りました。

その旨をそのままSに伝えると、
全然大丈夫との回答で後日に同級生3人で会食
をセッティングしました。

Dは念願かなって大喜び。
成し遂げたいことのためにSが
主催する勉強会にも月会費を支払っての
参加も決めました。

同級生ながら師弟関係になった二人ですね。

私もこれを機会にDとの距離も
再び近くなり、
3人で頻繁に会うようになりました。

私が参加していた異業種交流会はじつは
Sからの紹介で入ったもので、
私と同じくDにもこの会への参加を
促していました。

Dにしたら師匠の提案なので
一も二もなく参加。

この会はDにも水に合ったのでしょうね。
毎回、非常に楽しんで参加していました。
なんなら私よりも。

月日は流れまして、
距離が近くなるということは
嫌な部分が見えることでもあります。

距離が近くなったDに、
私から見て悪癖があることが
目に付きだします。

彼は誰に対しても軽いノリで、

「また今度飲みに行こ!」

裏に回ったら陰口を叩いてる人や
Dは苦手と感じているのが伝わる人にも

「また飲みに行こうな~」

と挨拶のように繰り返し言う始末。

もちろん大半は行くことのない
THE社交辞令です。

距離も近くなったこともあり、
行く気もないのに
あんなこと言わない方がええんちゃう?
とか、
口に出したなら本当に行かないと
自分の信用に関わるで。

と、いった助言を真剣にしていた記憶が
あります。

それを言い続けた結果、
他の交流会メンバーと仲良くなった
こともあり、私のことは煙たくなって
寄り付かなくなりました(苦笑)

その後もSの勉強会は継続参加して
いたようですが、
そこでDが当初成し遂げたいと言っていた
事が前に進むことはありませんでした。

私は変わらずSとは良好な関係が
続いていたので、
Dの勉強会での様子を聞くと、
月会費を何度か滞納するようになったと。

督促をすれば入れるんだけどね。
とのことでしたが怪しさ満点です。

付き合った当初はあれだけ師匠のように
崇めていたのにと、
紹介した私はため息を吐き散らかし状態です。

その話を聞いてから1年ほど経って、
正式にDからSに退会する連絡が
入りました。

本人に聞いてはいませんが、
Sの勉強会は実践してナンボの世界の
事柄です。
Dがそこで小さい一歩すら踏み出さなかった
ということは明白で、成果物がないことが
それを物語っています。

結局、「飲みに行こう」
くらいの小さい約束を守れない奴が、
大きなことを出来る訳がない
という証左ですね。

私も出来る限り口に出したことは、
やらなければと自分に叱咤する記事となりました。
〇〇さん、必ず会食セッティングしますからね!

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