【あなたは自分をネズミに例えるとしたら、マウスか?はたまたラットか?】
先日山下達郎がパーソナリティーのFMラジオ(サンデーソングブック)で、ねずみ年にちなんで、ねずみで棚から一掴みというコーナーが放送された。私は、日曜日の午後のドライブがてら、時々拝聴するのだが、前回の放送では、提供された楽曲よりもマウスとラットの英語圏における捉え方の違いという話に興味がいった。
言葉の持つイメージとしては、ラット=害獣(どぶねずみ)、マウス=ペット(愛玩動物)的な意味合いが強く感じられる。
確かにミッキーは、未来永劫マウスであり、ラットに成り下がることなどあり得ぬし、反対に、ラッツアンドスターのことをマウスアンドスターなどと読んだのでは興ざめでしかない。
この違い、人間社会に置き換えるとちょっと面白いなと、ふと感じたのだがどうだろうか?
ホワイトカラーにブルーカラー、勝ち組に負け組、人という生き物は皆押し並べて、自分の生活圏での立ち位置を確認するため、相手と自分の優劣をつけようとする生き物だ。
そこでだが果たして自分はどうだろうか?自己評価と己の知る範囲での他人の評価に鑑みる時、ラットの側におかれるのは間違いないだろう。
家格も、教養も、勿論財産などは言うに及ばず持ち合わせない自分が、マウスを夢見て精進を重ねる。三文芝居のシナリオぐらいにはなりそうな気がしなくもない。
何を隠そう私は、昭和35年子年生まれのねずみの中のねずみ(どぶねずみ)である。
どぶねずみ人生の求道者になるのも悪くないかもしれない。
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