片道178キロ自転車の旅
中学2年の夏ですから、47年前ですか?ついこの間の事のように思えてならないのですが。
当時私の仲間は、学年に10人ほどおり、ほぼ全員が他の同級生や緒先生方から常に白い目を向けられる存在でした。そんな落ちこぼれ集団ではありましたが、ひとつだけ自慢できる思い出があります。
当時の住まいは名古屋市西区、北へ30キロも自転車で走ると国宝犬山城、東へ足を伸ばせば恵那峡、南に下れば知多半島の波穏やかな海岸線。
貧乏中学生だった我々に流行りのロードバイク(自転車)など買えるわけがなく、子供用のセミドロップハンドルのチャリンコや、かあちゃんのママチャリを飛ばしてそれらの観光地へサイクリングで赴いた時期がありました。
弁当、飲み物、なぜか水着持参で、遊泳禁止の木曽川や、目的地近辺の川に飛び込み死にかけた奴もおりました。
一言で言って、まあ楽しい時代でした。お互いがお互いの脚力を競いあい、誰が真っ先にゴールするか意地と意地とのぶつかり合いのバトルは、漢を磨く修練の場でもありました。
そしてそんな趣味はどんどんエスカレートして行き、中二の夏休みに満を持して挑んだのが、名古屋から福井県小浜市まで片道178キロ自転車旅というチャレンジでした。
勿論到着してすぐさまトンボ返りというのは無理があったので、連れ内の一人の家族が車で先行して現地へ向かい、我々ポンコツ軍団が後を追うという形を取りました。いまいち辿ったコースの事まで記憶にないのですが、国道21号で岐阜まで出てその後大垣市の先から伊吹山の麓を抜け、長浜浅井町を経由し福井県敦賀市へ、今度は進路を西にとって小浜までたどり着いたんだろうと思われます。
敦賀までが100キロちょっと、そこから更に70キロの道のりの小浜はあまりにも遠すぎました。
一番の難関だったのが敦賀市の前に立ちはだかった疋田峠でした。だらだらと続く上り坂は、約20キロ近くあり、不眠不休で夜通し自転車を漕いだ体は疲れのピークに達していました。峠の頂きには一軒のドライブインがあり、誰からともなくそこまでたどり着いた全員は、事もあろうにドライブインと国道の間に設けられていた分離帯の植え込みに倒れ混み、車の排ガスも騒音もものともせず死んだように眠りこけたのです。
若いってのは本当に有り余る体力を身に付けていたんでしょうか。爆睡したこと数時間、元あった体力を取り戻し、所要時間(睡眠時間を含め)約15時間で目的地の小浜海水浴場までたどり着きました。
その日から2泊3日海水浴場で泊まり、帰りも勿論自転車で帰路に着いたのでしたが、宿泊施設がこれまた笑ってしまう場所でした。はっきり申しますと海水浴場の砂浜にビニールシートを一枚だけ敷き、そこに全員が雑魚寝するといった有り様だったんです。
勿論テントなどという気の利いたものなど在るはずもなく、浜風で何度もすっ飛んだ程度のブルーシートで代用された今で言うところのタープ(当時はそんな気の利いた言い回しもございませんでした)が雨梅雨を凌ぐ屋根代わりの代用品な訳です。
しかしこれは負け惜しみでもなんでもなく却ってこの経験が最高の思い出となりました。夜空に輝く満天の星は目が慣れると充分常夜灯の役目を果たしてくれたし、気が向けばいつでもすぐ海に飛び込み、泳ぎたい放題遊びたい放題、三度の食事のインスタント食品も、仲間と共に口にすれば何物にも換えがたいご馳走でした。
ボートで沖に出て、素潜りで魚や貝を取り、浜辺の上の国道沿いでレストハウスを営む店主のおっちゃんが、「お前らの写真を店に飾りたいんで是非一枚撮らせてくれ」とのご要望にお答えして全員の記念写真を撮ったのも昨日の事のようです。
楽しい思い出に後押しされたのでしょうか?帰りの行程は、行き程の苦労を感じることなく。楽しく全員無事に我が家へ帰り着くことが叶いました。
そしてそんな仲間の内の何人かが、今はこの世に在りません。思い出の中だけで、時々ふっと顔を出す
子供の頃のままの姿でです。