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戦時中に子どもだった方のお話

今日は8月6日。
広島に原子爆弾が落とされて79年となりました。

「声のアルバム」は80~90代の方にお話を聞く事が多いので、少なからず戦争の話が出てきます。
85歳の方だったら6歳前後。日常のいろいろな断片は記憶にしっかり残っていらっしゃます。

関西の都市部で生まれた方は結構な割合で学童疎開をされていて、いい思い出・悪い思い出も様々。
田舎の学校に都会から行きいじめられたという話もあれば、その土地の友人とは今でも交流があり、遠浅の海でみんなで泳いだことが人生で一番楽しかったという方も。お寺に集団疎開をした際地震が起き、生き残った兄の枕元に(おそらく弟の)火の玉が浮かんでいるのを見た、学校の校庭には人骨がゴロゴロ埋まっていたなど、あまり聞いたことがないような日常の話が多々ありました。
一家で大陸から引き揚げてきた、産めよ増やせよで子供の数も多く、兄弟の誰かが戦争で亡くなったという話もよく聞きました。
とにかく食べるものがなくてひもじかった、親が苦労されている姿を皆さんよく覚えていて、とても感謝されている。ご両親の話をする時は、なんとなく子供の顔に戻られているような気がしました。

もちろん無理やり聞くようなことはしないわけですが、幼少期の話になるとどうしても戦時中の話は切り離せないもので、静かに話される方もいれば、それはあっけらかんと笑いながら話してくださる方もいます。私の祖父ももう亡くなってしまいましたが、父の病院通いの時に聞かせてくれた通信兵時代のエピソードがかなり面白くて「もっと聞いときゃよかった」と今さらながらに思います。戦時中の奇妙な運命・・イフもしも、ここが変わっていたら今わたしはこの世にいないのだなぁと思うと、やはり先祖の存在や自分のルーツというものを実感します。

私は田舎出身なので未だに誰かの法事が毎年何かしらあるような文化で、お墓問題も含めとにかく面倒くさいと思っていましたが、歳を重ねてこれは残していく意味もそれなりにあるのだなぁと思うようになりました。集まる機会を(無理やりにでも)作り、その時だけでも故人に想いをはせ皆で話をする。老齢の方達が話す他愛もない思い出話からは、知らなかった家族の一面が結構あります。そして、理解できるようになってきた。
ルーツを感じると、本当に自分一人で生まれてきた訳ではないと感じます。もらったバトンなんだなぁと先祖代々の遺影が飾られる仏間で焼香しながら想う。小さな姪っ子は意味が分かってないだろうけど、会った事もない先祖達に手を合わせています。(でも正直、法事の回数はもう少し減らしてもいいとは思う)

たかだか80年前に、日本にもこんな日常があった。
当時の子どもたちが感じたこの国の惨状と家族への想い。
民間人が感じた生活史でもあり、ご本人の肉声で残すことに少なからず意義を感じています。

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